2012年12月16日

私が出会ったいちぐう人! Vol.3 異色の米屋、石川さん(2)

(1)から続く

「生産者との絆をつくるのは、5年じゃ無理」

10年でようやく少し。
20年付き合ってもまだまだだと石川さんは言う。
「同じことを繰り返しお願いしなければならない時もあります」

生産者の願いは1つ。よそよりも高く買ってくれること。そのたびに、毎年同じことを繰り返し言い含めなければならない。
「加工、調整、パッケージ、販促などにかかるコストを吸収するためには、うちも利益を出さなければ続けられない。市場よりも高く買えば、売れない。契約数量が買えなくてもいいですか? 販売努力はします。だから痛みわけしましょう」


ビジネスルールの理解に苦労
毎年、新品種の種もみを渡して生産を依頼している、ある生産者がいる。
彼とも20年来の付き合いだ。
新品種の販売に必要な米の「銘柄」と「等級」の検査をJAに依頼するようにと、伝えたはずだった。

ところが彼は、検査だけを頼むのはJAに悪いと、民間に持ち込んでしまった。

その会社でできたのは等級検査のみ。銘柄のない穀物は、「雑銘柄」扱いになる。
「雑銘柄」のまま、たとえば「五穀米」のように玄米に混ぜ込んだ商品のパッケージに記載する場合や品種をうたった販売方法では、JAS法の食品表示に抵触する。
「つまり、この分は他の流通には載せられない。うちの店頭で販売するしかなくなったんです」
結果、生産者から、当初の新品種の契約金で「雑銘柄」を高く買うことになってしまった。
「販売する立場の状況を理解してくれない。ことビジネスに関しては生産者に通じないことがままあります」

生産者は、明日の現金に弱い。
毎年、新米出荷直前、昨年度産米の在庫を叩き売る。栽培契約を結んでいても、目の前に札束を積まれ、「高く買う」と言われれば、さっさと売ってしまう。
「10年来の信頼関係がある人でもそう。自ら価値を潰してしまっている」
この30年、米や雑穀の生産で意見が合わず離れていった生産者もいる。5年間取引したある生産者は、突然「自分で売る」と言ってきた。
「でも、結局、売れずに3年ぐらいするとまた言い寄ってきた。でも、もうそういう人とは二度とお付き合いしません」

お互いが順調な時はいい。真価が問われるのは窮地に陥った時だ。
現在も付き合いが続いている生産者は、それを共に乗り越えてきた、いわば同志である。DSC_0094.JPG▲店内には厳選した米や雑穀商品が並ぶ。ディスプレイにもセンスを感じる。 撮影:林 泉

だが、それでも亀裂が入りそうになる時もある。
石川さんが足と本音で築き上げた産地ネットワークの生産者たちは、これまで仁義を守って、決して石川人脈を他言することはなかった。だが、ここ5年の間に、同業他社が、独自に調べて石川さんが育ててきた産地に入り込んできている。
「雑穀を譲ってくれと言われたんだが」
生産者にそう相談された石川さんは、「そこに譲ってうちの契約分がなくなったら困りますよ」と答え、さらにこう問いかける。
「そこに売ったらその商品はどこへ行くんですか? 他の業者とも細く長く付き合えばいいけど、できますか?」

産地の生産拡大は急激にはできないし、またしてはいけないと石川さんは言う。
「一時はいいんです。でも売れなくなったら、現実にはやめてしまう。規模が大きくなればなるほど、在庫も抱えることになります」

米は、玄米から白米にすると、歩留まりは9割。だが、ハト麦は4割、ヒエは5割。収量も、米が10アールあたり平均で7俵(60キログラム×7=420キログラム)、ハト麦は10アールあたり200~300キログラム。雑穀は、非常に高い商品になってしまうのである。

「土壌を守るためにも、日本で雑穀をつくるべきです」
石川さんは強く主張する。

現在も、全国で増え続けている遊休農地で雑穀をつくればいい。
そのためには、雑穀にも豆類などのように転作奨励金を出し、国内での消費を促進するような努力が必要だ。
「海外産と国産を品質・価格だけで比較するのでなく、日本の国土をどうやって守っていくか、穀物の自給率を上げていく方向性で考えていかなければならないのではないか」

日本がTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に参加すれば、大半の小規模農家は潰れると、石川さんは言う。
「食べものを自国で作らなくなる、それでいいのか? 食料の調達を海外に依存するということは、命を外に預けること。これでいいのか?」
異常気象が続く昨今、世界のどこかで干害や洪水の被害が報告され、そのたびに食料、特に穀物の需給バランスが崩れ、価格が高騰している。発展目覚ましい中国や新興国の急激な食の西洋化の影響も大きい。
以前は小麦が、2011年は蕎麦が不足した。輸出が制限され、輸入品の価格が上がった。

「うちの究極の目的は、日本農業を、日本の生産者を守りたい。若い生産者を育てたいんです」

近年、将来の気象変動に伴う食料不足に備えて、人工的空間での野菜栽培の研究が盛んに行われている。
「でもね、作物が育つのは、やっぱり自然の力。土、水、光。これを忘れちゃだめですよ」

"作物はつくるのではなく、できるもの"
八ヶ岳山麓で有機農業を営む瀬戸義和さんの言葉である。
自然が織りなす神秘的な命のネットワークとそこで行われるダイナミックかつ繊細な作業の結果、作物は命を与えられる。人間は、その恵みをいただいているにすぎない。
農業は、そのことを確認しながら、人が自然に寄り添って生きていることを体感する大切な仕事なのである。

昨年、日本農業は新たな難題をつきつけられた。
福島第一原発の事故だ。
山林を含めた完全な除染までにはどのくらいの年月がかかるのか、誰にもわからない。
「福島県双葉郡に取引している生産者・志賀さんがいます。震災後、宮城に娘夫婦3人と移住した志賀さんは、『もう農業はいやだ、やりたくない』と話していました」

志賀さんは、40年間、農業一筋で生きてきた。
石川さんは、今、志賀さんのような経験豊富で高い農業技術を持ちつつも、先の震災と原発事故で農業を諦めようとしている生産者にある提案をしたいと考えている。
「他の地域で農業の指導をしませんか?」
震災と原発事故によって農業で生きる暮らしに絶望・諦念し、行き場を失っている農業者が大勢いる。彼らに若い農業者の育成に携わってもらう「指導者」として第2の人生の場を提供したい。

付き合いのある山形、岩手の農業者の持つ、今は遊休地となった広大な土地がある。
そこに拠点を設け、65歳前後のベテランの農業者を指導者にして、若者たちをインターンシップで入れる。

志賀さんは言った。
「そんなところがあるんなら、残された人生をかけてみたい」

志賀さんのような核となる人材がいれば、他の農業者も集まってくる。
若手農業者育成のビジョン作成、コーディネート、マネジメントは石川商店が行う。
目下、スポンサーを探しに奔走する毎日だ。DSC_0134.JPG▲社長の石川善雄さん(右)と、専務の紘史さん。

「震災・原発事故で苦しんでおられる生産者のために、何かしらできないかと思ってきた」
と、石川さんの長男であり、石川商店専務の石川紘史さんは言う。
「社長の考え、構想はスゴイ。それを私たちスタッフが活かして、実現化するスピードをつけていかないと。とにかく実行していきます」
(3)へ続く