2018年5月 7日

承認欲求という魔物

大型連休も終わり、2018年の後半戦がスタートしました。

3.11の東日本大震災、そして郷里でリアルに体験した4.16の熊本地震。2つの災害で身を持って知ったのは、いまこの時の穏やかな幸せは永遠に続くものではないこと。
ふとしたきっかけであっけなく消えゆくもの、実にはかないものであるということ。

確かなことは「今この時を生きている」という、「生の実感」しかないということです。

一秒後に自分がこの世界から消えてしまうとしたら。

消えてしまっても後悔しないように、これをせずに消えてしまったらきっと後悔するだろうなと思うことを迷わず躊躇せずやること!

そう肝に銘じてきました。

同業の友人たちがこの春から新たな人生を歩み始めようとしています。
1人は、教える能力も資格も十分にあるにもかかわらず、現場の人であり続けたいと大学の教員という安定した職を固辞し続け、代わりに自らが学ぶ側となり、通信制大学で学び始めています。

もう1人は、築100年以上の古民家の管理人として、その地域の住人になることを検討中です。長年通い続け、地元民とのネットワークを築いてきたその地域で、自らがコミュニティ創造の当時者=実践者として生きようとしています。

やりたかったこと、やりたいことを心のままに勇気をもって選択した2人は、スゴイです!

人は、常に誰かに、社会的に認められたい、褒められたい、評価を得たい......と、心のどこかで渇望しています。
認められて初めて、自分の存在意義と価値を感じることができるような気がするからです。

この承認欲求が元凶だな! と、このごろ思うのです。

どんなに本質論を語り実践しているように見えても、最後の最後で、この魔物が顔を出す。すると、本質論は急激に色あせるか、方向自体が微妙に変質し始める......。

なぜなら、他人のモノサシで自分を見ているからです。
そして、その同じモノサシで他人を見てレッテルを貼って比較して優越感に浸ったり、自己否定・自己嫌悪に陥る。

承認欲求を持ち続けること=幸せの基準を他人に置いていることに他ならないのだと私は思います。

しかしながら、私たちは、なんと多くの時間を、「他人の目」で自分を見て生きているのか!

だから私は決めました。
自分の純粋な好奇心や興味にとことん夢中になる!
それは、「いま」しかないからです。
他人の目にどう映ろうと、他人にどう思われようと、関係ありません。

1秒後にこの世から消えてしまっても後悔しないように。
幸せは、そうやって全力で生きる「瞬間」にこそあるのではないか。

私は職人の世界が好きです。
職人が自分の世界にとことん集中している姿は、何よりも美しいです。
ただひたすらに、目の前の手をかけているモノに自分の魂を入れ込むのは、それが、世に出して自分が誇れるもの=大切なプライド=自分自身であるから。

自分に嘘をつかず、誠実に、妥協せず、納得のいくまで。
その技術を提供し続けるために、たゆまぬ努力をし続ける。

職人の心と気質がいまこそ必要な気がします。

まずは、隗より始めよ、です。