2012年6月25日

「いいものを安く」という考え方(2)

「いいものを安く」という考え方(1) では、未来工業社の山田相談役の言葉を引いて、「いいものを安く」の姿勢そのものが日本経済停滞の原因の1つという考え方にも一理あり…と書きました。

一方で、「いいものを安く」が成立する世界もあると思っています。
「『いいものを安く』提供したい」と腐心する私の友人たちがいます。
彼らのそれはビジネス戦略なのではなく、また、強い経営理念・哲学によるものというより、「自然体」、「当たり前」。
純粋に「相手に喜んでもらいたい」という気持ちで動いており、自らの価値の提供、あるいは経営スタイルが買い手・食べ手とのコミュニケーションの1つにさえなっているように思えます。

もちろん、慈善事業ではありませんから採算ラインを考えて経営しなければなりません。
しかし、そもそも儲けを狙って始めた事業ではありませんから、「そこそこの儲け」、あるいは「とんとんでよし」とし、むしろ彼らの損得抜きの誠実な姿勢が顧客にまっすぐに伝わり、ヘビーなファンを獲得しているのもまた事実なのです。

宮城県南三陸町の三浦さき子さんもその1人です。

先日、午後7時のNHKニュースで、津波によって遠くアラスカの海まで運ばれたものが持ち主に返されたと報じていました、1つは岩手県の高校に戻ったバスケットボール。
「もう1つは、宮城県南三陸町。漁業で使う浮玉が…」のアナウンスに、「もしかして!?」
テレビの音量を上げ、思わず画面に近づきました。
「浮玉が手渡されたのは、南三陸町の三浦さき子さん」。ああ、やっぱり!!!画面にさき子さんの懐かしいお顔が映ったとたん、私は「あーよかった、よかったですねーさき子さん、ほんとによかった!」と叫び、泣き顔になってしまいました。

さき子さんと知り合ったのは、約7、8年前。
農業雑誌の編集長をしていた頃、農漁家レストランの取材でさき子さんのお店「慶明丸」におじゃましました。
今回アラスカ沖からはるばる帰ってきた黄色に「慶」の字の浮き玉は、お店入り口に上から垂らして看板代わりの飾りに使われていたものです。

さき子さんは、夫の死後、50歳で店を開店。簡素なつくりのその店は、潜水士の息子が獲ってくるホヤやウニ、その他の魚を中心に、都会では考えられないようなボリュームいっぱいの海の幸を、さき子さんが優しい笑顔で「ごちそう」してくれる、素朴でホントに居心地の良い場所でした。私は「慶明丸」で初めて、獲れたてのホヤが市販品とは別物であることを知りました。
この絶品ホヤやウニの季節を待ちわびて、遠くから来訪するリピーターも多く、東北でも人気の漁家レストランでした。

威勢のいい胆っ玉母さんというよりも、訥々とした語りの謙虚で控えめなさき子さん。その温かいふわっと包み込むような雰囲気が私は大好きなのです。おいしい海の幸ををゆっくりといただけることもそうですが、何よりも私はさき子さんに会いたくて、その後も数回訪れています。
いつも思い出したように、「元気にしてますか? ちょっと送ってみたから~」と連絡をいただくなど、気にかけていただいていました。

ですから、震災後、テレビで被害映像が流れ始めた時、津波によって、あの豊穣な恵みをもたらしてくれていた見慣れた志津川湾の光景が一変してしまった様子を見た瞬間、私は激しく動揺しました。さき子さんとそのご家族のことを思うと絶望的になり、さめざめと泣きました。

その後、宮城県大崎市鳴子地区の旅館「みやま」のご主人・板垣さんから、「三浦さき子さん、ご無事です。ご家族といっしょに親戚宅に避難されているようです」との情報を得て、震災後の混乱が少し落ち着いたと思われる頃にさき子さんの携帯を鳴らしました。
電話がつながり、元気なお声を聞けた時は涙で声がつまりました。

先日のニュースを見た後、再びさき子さんの携帯を鳴らしました。
「前に来てもらった時に一緒に行った裏山のブルーベリー畑。今ね、あのブルーベリーを潰して行政にお願いしてあそこに仮設住宅をつくってもらってそこに住んでるの(さき子さんとそのご家族はその裏山に避難して津波から逃れることができた)。もうすでに町の人たちはあちこちに出ていってしまってバラバラだから、せめて近くに残っている人たちが少しでもまとまって暮らせるようにと思って」

さらに、さき子さんはこう続けました。
「プレハブみたいなものでいいから、また(慶明丸を)始めようかなぁと思ってて。息子は新しい家も建てなきゃならないし、これからも大変だからもういろいろするなと言うんだけど。でも、今やらなかったら、もうできなくなる。体が動くうちにもう一度やってみたい」

話を元に戻します。
前回の大局的な日本経済全体の話と、今回の個別の農山漁村の経営者の話を一緒にするつもりはありません。
たとえば、ユニクロの「いいものを安く」と慶明丸の「いいものを安く」は同じ次元で語ることはできません。
ユニクロにもファンはいますが、小さな個店である慶明丸のファンはもっと濃いコミュニティの中におり、そこでは濃いコミュニケーションが交わされています。

そのごく小さなコミュニティの顧客には、ユニクロファンにはない一種の感情が芽生えます。
いつ来店しても金額以上の価値を笑顔で惜しみなく与えてくれるさき子さんへの心からの感謝です。
少なくとも私がそうです。
だから、「もっといいものを安く出して」という飽くなき要求をするどころか、こんなに安くしてもらっていいのだろうか」と申し訳なく思い、「なんてありがたいんだろう」という気持ちでいっぱいになります。
サービスへの対価というよりも、また次回も慶明丸のご飯が食べられることを願っての御礼のお金とでも言うべきものでしょうか。

そうした関係が成り立つのが、経営者と顧客が触れ合える小規模な個店、なかでも農漁家レストランの魅力かもしれません。
そこでは「いいものを安く」が、私たちに心からのサービスに感謝して対価を払うという、とても当たり前の思考・行動に気づかせてくれるという、良い効果をもたらすときもあるのです。