2012年3月 1日

言葉が足りない(2)

(1)の続きです。
タイミング良く私が出会ったその書籍とは、『言葉が足りないとサルになる』(岡田憲治著、亜紀書房)。
専修大学法学部で教鞭を取る岡田先生が、ゼミの学生たちと交わした奇妙でリアルな会話や、学生からの謎のメールなど、思わず噴き出してしまうような、でも冗談でもなんでもない「言葉が足りないことで起きている怖い現実」がそこにありました。

「幼児語を使ってはいけない」。
著者のこの指摘に、目からウロコが落ちました。
「うざい」「マジ」「きもい」「っていうか~(っつうか~)」「~っぽい」「チョー」「ヤバイ」といった言葉は、今や社会やテレビの中に溢れています。これらを耳にするたびに、なんだかモヤモヤとした嫌な気持ちにさせられていました(特に私は、「っていうか~(っつうか~)」が嫌いです。この語尾を伸ばした妙な接続詞を乱用する人と話すと、ものすごくイライラします)。

その理由が本書を読んで判明しました。

幼児語多用の会話は、今や若者に限りません。いい年の大人たちの日常生活にもしっかりと浸透しています。
なぜか。これらの幼児語を使うとラクなんです。本来説明しなければならない内容は省略され、ワンワード表現で済みます。
たとえば、「この企画、どう思った?」、「彼の発言はどう?」など、「How」の質問には「微妙」の一言で答えられます。
面倒なことは「ウザイ」の一言で済みます。よけいなことを言わなくても話が通じてしまうのです(通じているような気になる)。

言葉で説明することをしないうちに、センテンスをつくって会話をする機会が減ってゆき、文章が書けなくなる…。まさに、著者の言うところの「言葉を使わないと、サルになる(アホになる)」です。

本書では、一流アスリートと言語力についても言及されています。
一流アスリートほど、豊穣な言葉を使って説明し、表現する力を持っているのだと。

ふと思い当たったのは、ずっと以前に視たNHKの『クローズアップ現代』です。日本サッカーが世界で勝てないのは「きちんと言葉でコミュニケーショ ンが取れる選手がいないこと」にある。だから、ユース代表選手たちに、文章の読み書き、自分の意見を言葉で発表するなどの、国語の基礎学習を重視した強化 訓練をしていると報じていました。つまり、自分が持ったボールを次にどうしたいのかをきちんとチームメイトに伝える術を身につけることが最優先の課題なのだと。

スポーツの試合が終わると、アナウンサーやタレントがアスリートにお約束の質問をします。
「きょうの一戦、いかがでしたか?」、「いまのお気持ちは?」
この貧困なるレベルの低い質問に、皮肉をこめて対応した中田英寿選手の切り返しが本書の中で例に引かれています。
若手アナウンサー「決勝点となった、あのシュートを打ったときは、どんな気持ちでしたか?」
中田選手     「やっているときは、肉体が反応しているだけなんで、気持ちとかはとくにありませんけど…」

考えてみれば、私たちの回りには、「気持ち」を尋ねる場面がいかに多いことでしょう。
それが容易だからです、メディアが大好きな予定調和に導くには。

気持ちが言葉をつくるのか、言葉が気持ちをつくるのか。
言葉にならない気持ちを言葉にしようと私たちはもがくわけですが、そもそも、言葉の引き出しが少ない人間が気持ちにぴったりの“自分だけの表現”を探すのは 無理です。だから、どこかで聞いたような言葉を当てはめて、あたかも自分の言葉であるかのように錯覚・納得したつもりになっている…。
インプットがなければアウトプットもないのですから。

「感じたものはそのままでは感じたものにすぎない」
この一文を読んだ時、スローフードジャパン副会長の石田さんへのインタビューで、石田さんが「ヨーロッパ人・イタリア人は抽象的なことを 言葉にすることに多くの時間を費やし、そのことをコミュニケーションの中でとても重要視している」と語っていたことを思い出しました。
日本でスローフードの本質がなかなか理解されない最大の原因が、実は、現代の日本人が「言葉で表現することを大事にしていない」ことにあるのかもしれません。

「感覚やセンスだけで作品がつくれる人は、本当は100万人に1人ぐらいの天才だけだよ」
岡田先生は、趣味の写真サークルで、センスは優れているものの、言葉で自身の作品を説明できない“不思議ちゃん”をこう諭しています。

繰り返しになりますが、言語力は全ての能力の基礎になるものです。
人間を人間たらしめているのは、「言葉」です。思考を言葉という手段で自在に表現する能力を持っていることです。
その時の気分や、漠然とした気持ちのままに大雑把に言葉を使うことは、罪ではありません。しかし、そのことが知らぬ間に人としての退化を招いているのだとしたら、もはや文明の危機です。

…と振り返って、自分の書く言葉・話す言葉を改めて眺めてみれば…あぁ、偉そうなことは言えません。
これを機に、これまで以上に言葉を意識して丁寧に扱い、大事に紡がねば!