2009年7月31日

気持ちって大事じゃないでしょうか Part2

Part1を書いてしばらくのちに、関東地方は梅雨が明けました。
しかし、その後はまるで梅雨に逆戻りしたかのようなすっきりしないお天気が続いています。
また、西日本では梅雨明けが長引き大雨による被害が続出するなど、地球の46億年の時間の中で現在を温暖化と見るかどうかはともかく、「気象異変」が起きていることだけは確かなようです。
被害に遭われました皆さまには心よりお見舞い申し上げます。

さて、Part1の続きです。
経済効率優先の論理においては、少しでも他人より利することが大事、損をするのはまぬけ、自分とその周囲が幸せであればよい、儲からないことは無駄であり、そこでは「情」や「気持ち」は不要なもの、邪魔モノでしかありません(見せかけの「気持ち」や上辺の言葉だけの「気持ち」はよく見かけますが)。
ビジネスは、論理性・客観性が求められます。論理的に納得のいく答えが求められます。
しかし、物事には論理で切り捨てられないもの、失ってはいけない大切なものもあります。
ビジネスとて同じことだと私は思っています。

幸せは、人と人との間にあるもの。私はそう思います。
信頼を築くのは長い時間がかかりますが、一度壊れた信頼関係を再び元に戻すのは容易ではありません。自然環境と同じです。

最近、久しぶりにとても心に残る映画を観ました。
『剱岳 点の記』。近年流行りのSFX、フルCG、めまぐるしい展開、派手なストーリーの対極にある、地味で淡々とした映画です。
その評価はさまざま。黒沢組の名カメラマンである木村大作監督の手による徹底的にアナログにこだわった映像は息をのむほどに美しく、一方で映画の内容にについては「ドラマがない」「セリフがおもしろくない」「音楽が不要だった」など酷評も。
普段、邦画をわざわざスクリーンで観ることをしない私は、事前の評判のこともあって「退屈で途中、寝てしまうかも」と思いつつ、まったく期待せずに映画館へ。
ところが、始まってみれば、画面に引き込まれ後半は不覚にも(笑)うるうるきてしまいました。

私が思うに、『剱岳 点の記』にドラマはありました、十分に。
映画の全編に静かに流れる、端正で礼節ある姿勢、思いやりの「気持ち」が、私の心の琴線に触れました。
登山の場面でビバルディの 『四季 冬』が多用されていましたが、あの演奏がCDの音源やメジャーオーケストラのものでなく、地方(仙台)のオーケス トラの生録を使ったと知り、実直で謙虚な2人の主人公、陸軍参謀本部陸地測量部の測量手・柴崎芳太郎と剱岳の案内を務めた地元人・宇治長次郎の物語にぴったりだと思うと同時に、そうした制作姿勢に、新田次郎の原作をこよなく愛し、監督として初であり最後の作品をと4年の歳月をかけて完成させた木村大作監督その人を見たような気がしました。

前半、国防のために陸軍の威信をかけて前人未到の剱岳に登る陸地測量部の部隊と、ヨーロッパの進んだ山岳技術や装備を取り入れ「効率的」態勢で挑む日本山岳会が、剱岳初登頂を争って互いに切り立った絶壁の下で、あるいは別の岩壁を眺めては前進を諦める場面を観ながら、「なんでこの人たち、山を下から眺めて思案するのか。地図を見ればよいではないか」とぼんやり考えていました......そして、次の瞬間、「そうだった、地図がないんだ!」
ただ地図を作るためだけに、命を賭して危険な山に登る。測量のための機材のほか、櫓を組むための木材、埋め込む三角点など大変な荷物を担いで。到着地点で黙々と作業をするその姿は、まさに「職人」です。

柴崎の先輩、古田盛作(役所広司)は、柴崎宛の手紙の中でこう語りかけます。
「人がどう評価したかは関係ないのではないでしょうか。人間は何をしたかではなく、何のためにそれをしたかが大切。最後までやり遂げてください」
原作にはないセリフだそうです。
「プロの仕事とは他人の評価が全て」、「結果(成果)を出してこそプロである」。
そうかもしれません。
しかし、私は、「甘い!」とお叱りを受けようが、「何のために、誰のために」という原理原則がブレないことも、プロが、いえ一人の人間として大事にすべきことではないかと思うのです。

Part1で紹介した、宮城県大崎市の小野寺公男さんは、民俗研究家の結城登美雄先生が「自分が知る現代最高の漆器職人」と評された人です。米が命をつくる素だった頃、つまり米が今ほど採れなかった頃は、ひとにぎりの米に野菜で粥を作り食していました。小野寺さんによれば、両手の平で食を受ける形状が器になり、だから日本の器は人が手で持てる大きさであり形なのだとか。その器の意味を実感できる食が粥です。

Part1で小野寺さんが手に持っておられる応量器は、禅僧が修行で用いた携帯用食器。
その応量器を使って、「楽しみの食」部分が異様にデフォルメされてしまった「食育」の世界に喝を入れる! ではないですが、大人の食育を考えようという試みを、結城先生は考えておられます。
「食べ物を3つの段階に分けて考えると、第1段階は"生きるための食"、第2段階は"神や自然への感謝を込めた儀礼の食"、そして第3段階が楽しみの食"」と、結城先生。

昨今、何でも「お手軽、楽しい」の要素がないと人々は振り向かないらしく、子どもたちの食育に楽しみながら事の本質を自然に学ばせる過程があるのはよいとしても、大人までもが、「面倒なことはイヤ!」。
しかし、食は我々の命に関わることです。
「鳴子の米プロジェクト」は2006年、結城先生を総合プロデューサーとして迎えスタート。生きるために大事に食べてきた「米」だから、派手な宣伝や食味計の値で決まる似非ブランドでなく、鳴子の米を食べ手と作り手の信頼による本物のブランドにしていく動きです。
冷たい雪解け水の山間の田んぼでもよく育ち、食味でも負けない「東北181号(のちに「ゆきむすび」と命名)」をシンボルに、米をつくり食べる意味を、お米の炊き方・料理・器との相性・食シーンなどを地域のさまざまな人たちが研究して、今や大きな広がりを見せています。

鳴子のおにぎり.JPG
旧鳴子町では、おむすびの見せ方も皆で工夫。おむすびを載せた板は、2007年3月の「鳴子の米発表会 春の鄙祭り」の際に、「俺もなんかしなきゃいげねと思って」と、小野寺さんが「ゆきむすび」の産地である鬼首(おにこうべ)地区の杉の間伐材に丁寧に漆を塗って持参したもの。普通、漆器職人は、木質が柔らかく、漆を塗るのに適さない針葉樹は使わない(撮影:林 泉さん)。

昨年は、NHKBSのドラマ(『お米のなみだ』)にもなりました。
だから、「おいしいからちょっと高めだけど"買ってあげる"」的な売り手や食べ手に媚びることはもちろんしません。
まずは、鳴子という温泉で栄えてきた地域の消費者が「鳴子の米」を買い、鳴子の米を育て支えます。
そして、つくり手の「気持ち」を伝えていきます。
鳴子の米プロジェクト
http://www.city.osaki.miyagi.jp/annai/kome_project/index.html

鳴子の「ゆきむすび」の開発者が、宮城県古川農業試験場作物育種部総括研究員の永野邦明さんです。
永野さん.JPG
古川農業試験場の実証中の品種候補保管庫にて。これらの中から実際に世の中にデビューできる品種はなんと50万分の1(撮影:林 泉さん)。

いつからか、「コシヒカリ」がおいしいお米の代名詞になって以来、日本全国「コシヒカリ」だらけになってしまった気がします。永野さんによれば、現在のお米の品種ベスト10のうち9品種までが「コシヒカリ」の直系だとか。
「コシヒカリ」は全国どこでも栽培ができるから量が確保しやすく、ブランド力がある。つまり、米屋にとって都合のよい品種だったのです。
「コシヒカリ」系に替わる品種を世に出すためには、米屋や卸業界の認識をどう変えるか。
うれしいことに、昨今、一時期「コシヒカリ」と人気を二分していつのまにか消えてしまった「ササニシキ」が復権。お寿司屋さんなどからのラブコールで少しずつ売れ始めているそうです。
永野さんの悲願は、この「ササニシキ」の味を持った新品種の開発です。

今年1月、古川農業試験場の新たに品種登録を目指す、「ササニシキ」の後継種「東北194号」のお裾わけが永野さんから送られてきました(写真左)。

永野さんからのお米.jpg
さっそく試食させていただきました。
そのなつかしい味に、炊き上がりの、そして舌から鼻に抜けていく芳しい香りに、「ああそうそう、これこれ!」と思わず声に出してしまいました。

白いご飯にぬか漬けで何杯も食べられそうな味......ああ、この記事を書いている今も口の中に唾液がたまってきました。
「ササニシキ」は、コシヒカリよりもあっさりめ。だから胃にも優しいと聞いたことがあります。
しかし、久しぶりに食べる「ササニシキ」系のお米がこんなにおいしかったとは。
実のところ、「ササニシキ」の親である「ササシグレ」を最近宮城県加美町の渋谷さんからいただき、すっかりファンになってしまったのです。いただいた分はぺろりとたいらげ、すぐに5キロを渋谷さんから購入しました。
現在、そのおいしさを友人たちにも伝導中です(笑)。
永野さん、「東北194号」も楽しみにしています!
思うに、お米の品種もいろいろあったほうがいい。これからの気象変動に伴う災害を考えれば、リスクヘッジとしても多様な品種を栽培しておくことは必要では? 今年の夏も冷夏が心配され、すでに東北の一部や北海道では日照不足による農作物への影響が出始めています。
永野さんによれば、少なくとも東北地域はここ数年、「温暖化」していないそうです。逆に寒冷化とも呼べるデータが出ているとか。

永野さんから送っていただいた写真右の「東北198号」は、2010年度に品種登録を目指していらっしゃる高アミロース米。
アミロースの含有量が少ないほど、お米はモチモチとして、冷めてもパサパサせずおいしいと言われています。鳴子のゆきむすびがまさにそうです。
その対極にある高アミロース米。いわゆる東南アジアなどの長粒種のような粘りのないバラバラしたお米です。
ピラフやドライカレー、リゾットなどに、また、最近用途が多くなってきている米粉に加工してパンや和菓子、麺類などにも向くそうです。
ならばと、チャーハンにしてみました(一度炊いたものを炒めてみました)。

ピラフ.JPG
簡単にパラバラチャーハンができて(笑)、味も食感も満足でした!
永野さん、報告が遅れ、申し訳ございません。

しかし、お米っておいしい。
「鳴子の米プロジェクト」に関わるようになって以来、前にも増してお米が、ご飯が好きになり、お米の消費量が増えて困っています...。お米をざるに移すとき、あるいは洗っているとき、一粒でもこぼれようものなら、必至になって拾います。もったいなくて。
「鳴子の米プロジェクト」に流れる多くの人の「気持ち」を感じ取ったからかもしれません。何かがストンと心に落ちました。

さて、きょうもこのお米のつくり手に感謝しながら、おいしいご飯をいただきまーす!