2009年7月11日

"気持ち"って大事じゃないでしょうか Part1

今年の梅雨は梅雨らしくて、なんだかホッとします。
あのシトシト、ザーザーという雨の音を聞くの、好きなんです。
特に、雨上がりの、まるで立体映像のごとくその場から飛び出してくる鮮やかな色の植物たちを見ると、感動でゾクゾクします。
とはいえ、このところの蒸し暑さには正直、参ってしまいますね……。

ピアニスト・辻井伸行さんが注目を集めています。
メディアや世間の取り上げ方に、私は猛烈な違和感を抱いています。
辻井さんのことを表すのに、なぜいちいち「盲目の」とか「全盲の」という形容詞を付けなきゃならないのでしょうか?
朝日新聞の投書欄にも同様の意見が載っていましたが、確かに彼が目が不自由であるというハンディを乗り越えてピアノの鍵盤を自在に操り素晴らしい音楽を奏でるピアニストになったことは称賛に値します。でも、彼の演奏が心を打つのは、盲目だからではなく、卓越した技術と彼の人間性、感性が紡ぎ出す音色、「響き」にあります。だからこそヴァン・クライバーン国際音楽コンクールで優勝できたのであり、ことさらに身体的特徴を強調するのは、辻井さんに、またヴァン・クライバーン国際音楽コンクールに、その審査委員の皆さんに失礼だと思うのです。

先日、偶然視ていたNHKの『クローズアップ現代』では辻井さんがフォーカスされていました。
ヴァン・クライバーン国際音楽コンクールの審査委員の一人へのインタビューは興味深いものでした。その審査委員は言いました。
「(審査ノートを特別に見せながら)、普通はこのノートに細かいチェックを書き込み、採点をしていきます。しかし、私は彼の演奏が始まったとたんに、ノートを閉じてしまったのです。ノートを取る必要がないと思い、聞き入ってしまいました」
彼の音色は特別だったのです。その審査委員はこうも言っていました。
「最近の若いピアニストは、テクニックに頼りすぎます。極端に速く弾いたり音を大きくしたり。ところが、彼の演奏には全くそれがなかった。とても自然に素直に演奏していた」

最近の私の憂い。それは、効率優先・経済性重視の中で「気持ち」が失われつつあるのではないかということです。地味で地道なことが嫌われ、すぐに効果の出ること、稼げること、派手で目立つことばかりに注目が集まり、人々が飛びつく。先のピアノの演奏もしかり。審査委員受けする演奏、受かりやすくするためのテクニック、ノウハウ。しかし、テクニックはその場での盛り上げ効果はあるでしょうけれど、それだけでは審査委員の手を止めてしまうほどの感動を与えることはできません。
もちろん、前提にはベーシックな演奏技術あってのことですが、人の心を揺さぶる演奏ができるか否かの大事な要素が「心」であり「気持ち」だと、私は思っています。
ピアノに限らずすべての物事に通じていることではないでしょうか?

3月末に宮城県旧鳴子町(現・大崎市)におじゃましました。10年来の友人である宿「みやま」のオーナー・板垣幸寿さんからの依頼で、仙台で開催されたグリーン・ツーリズムの会合でご一緒して、その後「みやま」泊。

みやま内観.JPG
▲「みやま」のラウンジ。いつ行っても心地よくて、落ち着きます…… 写真は、以前に取材でおじゃました際、カメラマンの林泉さんが撮影してくれたもの。やはり、プロの写真は違います。以下、写真は全て林さん。

翌日、「みやま」のすぐそばにお住まいの漆器職人・小野寺公男さん宅を一人で訪ねました。突然の来訪にもかかわらず、小野寺さんは歓迎してくださいました。お会いするのはこれで3度目。しかし、じっくり2人きりでお話しするのは初めてでした。

_小野寺さん.JPG
▲小野寺公男さんです。手にされているのは、応量器。       撮影:林 泉さん
*応量器については、次回の雑記帳にて書きます。

「ある大学の漆芸コースの学生に、『なんで職人になるんだ?』って訊いたら、『自分は器用だから、物づくりが向いてると思うんですよね』と言ったんですよ。とんでもない。器用な人間は職人には向かない。すぐにできちゃうから、ひとつのことをじっくりできないことが多い。私は不器用だったから、職人を続けてこれた。そして、まだできていない。だからがんばるんです」
小野寺さんが席を外されたとき、何気なく部屋を見まわし、そこに掲げてあった言葉を思わずノートに書き留めました。
「器を作るは自らを作る也 柳宗悦『工人銘』」

小野寺さんの漆器.JPG
▲小野寺さんの漆器。漆の色ってこんなに美しかったのか! 輝きが違います。それでいて目になじむ色です。撮影:林 泉さん

不器用な人間は人一倍努力をします(向上心がなければ元も子もありませんが)。職人の世界は気の遠くなるような地道な作業を黙々とこなす地味なもの。効率や経済性とは対極にあります。ささっとこなして見栄えだけそれらしく、ちょっとデザイン性を強調したようなものが世間でもて囃されたり、メディアが飛びついて高値で売れていく。中には偽物の漆器も多々あるのだとか。自身に問いかけながら、モノとコトの本質に迫り、究めようと精進する......。
「今の時代だからこそ、とにかく丁寧に、丁寧にやるんです」
尊敬する民俗研究家・結城登美雄先生が、「鳴子の米プロジェクト」を進めていくに当たって何度もおっしゃっていたことです。
……と、鳴子の「米プロ」のお話は、次回の雑記帳で。       (Part2へつづく)