2015年12月25日

2015年の最後に...

きょうは、満月の聖夜です。

20151224_165955.jpg更新を怠り、2カ月。気がつけば、今年が終わろうとしていました。

2015年は、とにかく充実した1年でした。
忙しかったです......とても。
でも、つくづく感じたのは、純粋に現場の皆さんのために動けることの幸せです。

もちろん、いろいろあります。

「うっ」、「ぐっ」と思うこと、飲み込むこともたくさんあります。
それでも、「何のために」、「誰にために」を自ら意識して、そのことに正直に生きることができていることが、本当にうれしいのです。

ここまで来るのに、長い時間がかかりました。
気づくのが遅く、同じことを何度も繰り返して、学習能力のなさに我ながら呆れたことも多々。

しかし、それらの失敗、苦労、ドン底も、力を蓄えるためには必要だったのだなぁと今なら思えます。

ご支援くださった皆さま、応援くださった皆さま、本当にありがとうございます。2016年は、さらにワクワク、楽しく、おもしろく、生きていこうと思っています。

...と、いきなり締めの挨拶になってしまいましたが、きょうは最近始めたある習い事について書こうと思います。

そうなんです、この時期に、何を狂ったか、習い事なんか始めてしまったわけです。
なぜ今なんだ!?このくそ忙しい時にまた、どうして!?
自分でも呆れてしまったのですが、衝動的というわけでもないんです。
今から思えば、必然に導かれてだったのかもしれません。

なぜならば、かつて中途半端で終わったことのやり直しだからです。

たかが習い事、されど習い事です。
やり始めると、深いです......。

歳を取ると、やはり、反応も吸収も鈍く、遅くなります(あああ)。
師匠のおっしゃることが頭ではわかっているのに、それを体の動きに反映できない。
頭で考えて実践しようとすると、体が硬くなる、どこかに力が入ってしまいうまくいかない......体感できるようになるのに、時間がかかります(汗)。

それはともかく。
この習い事の何がどのように「深い」のか。

これ、まさに、私の人生そのものだったんです。

と言いますのも、これまでの人生で積み残してきたこと、適当に流してきたこと、中途半端で「なんちゃって」で済ませてきたこと......それら自分の内面、自分自身と向き合わざるを得ないわけです、上達するためには。

つまり、スキルアップの「壁」=私の人間的成長の「壁」とまったくおんなじだったんですね、これは痛いです。

「自意識が強いんだよ」
「新しい自分が上へ行こうとしているのに、昔の自分が『1人だけ先に行こうなんて許せない!行くな~!』と足を引っ張っている」
「頭で考え過ぎない」

ぜんぶ、師匠に言われたコトバです。
そんなこと言ったって、師匠、これが私なんだからしょうがないじゃないですか、急には変えられません~!と、心の中で反発し、なんで習い事程度でここまで言 われなきゃならんのだと落ち込みましたが、考えてみれば、私の人生のブロック、ループの原因をドンピシャ指摘されていたわけです。

そして、昨日、なぜこの時期に、この習い事にリベンジしようと思ったのか、突然わかったのでした。

人生の棚卸とさまざまなバランスの修復――でしょうか。

一番苦しかった高校生時代、蓋をしてしまっていたあの頃の自分にケリを付けていませんでした。
知らんぷりして、あの頃の自分は勝手になかったことにして、心の奥底に封じ込めてきました、ずっと。

今の習い事は、あの頃、好きだったことなのです。
というより、唯一の救いだったものかもしれません。

あの頃の自分も私の一部としてきちんと認め、取り込む......その修復作業が必要だったのだと思います。
それができていなかったこと自体が、ある意味、私自身の過去への「執着」だったのかもしれません。

2016年は、もっと成長できるよう、学びを深めていきたいと思います~。
喜びを与えることでパワーもらう生き方、これからも、貫いていきます!

どうぞよろしくお願いいたします。