2014年8月14日

ある失敗の出来事からの気づき

7月以来、ひたすら前だけを見て突っ走ってきて、ブログを見る、書く余裕もなく、また書く気にすらなれず、気がつけば、台風一過の空に響くセミの鳴き声が変わっていました。
相変わらず湿度の高いムッとする日々の中で、風が少しずつ秋を運んできているようです。

きょうのブログのタイトル。
お恥ずかしいのですが......初めて、ちょっと個人的で内面的なことを綴ってみようと思います。
なんだかきょうはそんな気分なんです。
これは成長のプロセス? だといいなぁ。

特定の地域にどっぷりかかわって地域の人と共に動く私のような地域づくりの仕事をする同業者には、あまりお目にかかったことがありません。

代わりに、すーっと来てコトバを落として、コトバを残してすーっと去るやり方で地域を渡り歩く人、あるいは商売として成立させるために、数を稼ぐ人も多いです。

何しろ、私のように寄り添ってきめ細かいサポートをするファシリテーションスタイルは、数がこなせません。

地域づくり=地域の人間関係の整理と調整です。
それは本来、地域の人たちがやるべきことじゃないの?
そんな地ならしさえできていないところに入って、一緒になってごたごたしてあんたは何をしているの?と、他のコンサルの方に笑われそうです。

かもしれませんね。
でも、私のような人間が必要とされる場所って、地域の人間関係も含め混沌しており、気持ちはあるけどどこから始めていいかわからない情況の場合が多いのです。

そもそも、課題が整理され、やりたいことに応じて得意スキルを持つ人たちがうまくそれにコミットできている状態ならば、外部の人間にヘルプなんて求めません......と私は思うのですが。

そういう私の姿勢が引き起こした今回の事件。
起こるべくして起こり、起きた当初は激しく落ち込みましたが、今は目の前の霧が晴れ、私に必要な出来事だったのだと思えます。

不思議とそうした出来事が起こる前には、強気な自分がいるんです。
「これでいいのか?」となんとなく思いながら、でも多忙の中でやり過ごしてしまい、すでに現れていた兆候を見逃してしまっています。
そして、決定的なことが起こった時に面喰うのです。

なんで? どうして??? と。

どうすればよいのだろう。誰に相談したらよいのだろう。
途方に暮れ落ち込みましたが、しばらくして答えは見えてきました(というより、最初からわかっていたのかもしれません)。
手放すこと。執着を捨てること。

そう決めたら、ストンと心がラクになりました。

あとは、かかわってくださった人たちに迷惑をかけないよう、無責任にならないよう、そこは最大限の注意を払って、全力でカバーしてクロージングに向かわなければなりません。

昨日、会った全く異なる人たちから、同じコトバをもらいました。
中には、私がもらした断片的なコトバや状況からだけ察して。
そのことをが私を勇気付け、背中を押し、決断させてくれました。

まったくもって、自分の甘さを痛感しました。
そんなビジネスライクじゃないやり方をするからそうなるんだよ、というお叱りの声には「その通りでございます」としか言えません。
全ては私が線引きを曖昧にしたことにあります。

でも、今回のケースは、自分のその地域や人々への執着がそうさせたのであり、また、そうしたい自分がいました。

そもそも、ココが間違いの素だったんですね。
ああ、反省......。

そして、今朝。
今回の件で、初めて涙しました。

それは。

「私は何のためにしゃかり気になって、『地域の皆さんのために』、なんて、1人格好つけてリキんでいたんだろう」

と考えた時のこと。
突然、自分の中に答えが降ってきたんです。

私は1人の仕事人としてどうあるべきか、ではなく、1人の人間としてどうあるべきかにこだわり、悔いなく行動しようと思ってきたんだなぁ、と。

そうわかった時、アマちゃんですが、自分が愛おしく思え、涙がとめどなく溢れてきました。

なんだろうなぁ、私は。
おめでたいなぁ、もう。

もっと自分を大切にせよとのメッセージ?
そんなことにも気付かずに、走っていたのか、私は。

いまは、とても穏やかで平穏で、そして新鮮な気持ちです。
しかし、人生の仕組みというものに改めて感嘆。
不思議だなぁとつくづく思います。