2014年3月14日

結果オーライなら、なんでもアリ?

ずいぶんとご無沙汰してしまいました。
気がつけば、大寒桜が三分咲き......。

先日の3月11日。
この日、西の方角に、白く雪をいただいた富士山の姿がくっきりと見えていました。
私は、思わず手を合わせながら、なかなか進まない復興、目途が立たない福島第一原発事故処理のことを考えました。
まだまだ優先してやるべきことがたくさんあります。
だから、私は、とても東京オリンピックに浮かれる気にはなれません。


さて。
きょうは少し古い話題で恐縮です。
地上波のテレビドラマ『明日、ママがいない』。私は未見です。
だから、詳細を論じることは避けます。

ただ、この論争に、私は最初からものすごく違和感がありました。

最終話直前の回放映後、「こんな素晴らしいドラマだったなんて」という賛辞が多数の視聴者から上がり、「この番組にクレームつけた人は謝罪しろ」というコメントまであると報じているメディアがありましたが、まったくもって「?」という感じです。

ドラマとしておもしろければ何でもアリなのでしょうか?

私がこの話題で最初に疑問を感じたのは、制作側の対応でした。
ドラマの世界がフィクションであることはわかっています。

普段、私が見るのは、海外ドラマばかりです。
あちらのドラマには、もっと過激でセンセーショナルなものがたくさんあります。ただ、それはある意味、「あり得ない世界」のこととして納得の上、楽しめる物語。

今回のケースで問題になった「赤ちゃんポスト」。
赤ちゃんポストとは、事情があって育てることが困難な新生児を親が匿名で養子に出す施設およびシステム(Wikipediaより)です。ドラマでは、そこから、ドラマ内で赤ちゃんポストに預けられた過去を持つという設定の子役の1人のあだ名を「ポスト」と名付けていました。

初回放送後、日本で唯一赤ちゃんポストを採用し、運営している熊本市の慈恵病院から放送中止や内容の再検討を求める声明が出されたと話題になった時、私は、「当然だろうな」と、思いました。

だって、非常に失礼ですもの。

日本テレビとその制作に対して私が抱いた印象です。
ドラマの内容云々以前に。

慈恵病院は、現在も赤ちゃんポストへの賛否がある中で、「赤ちゃんが生き延びる権利が最も優先されるべき」と、真摯にこの社会事業を続けておられます。
とてもセンシティブな問題に触れることになります、「ポスト」という名前を使うことによって。

やはり、事前にきちんと慈恵病院に取材すべきであり、せめて一言制作や放映にあたって申し入れや断りをすべきだったのでは?
しかし、そんなことをすれば、制作や放映に待ったがかかるからしなかった???

それこそ姑息で大人げない。

ドラマでは児童養護施設の表現についても全国児童養護施設協議会(全養協)と全国里親会から批判と見直しを求める声が上がりましたが、制作側の取材不足は否めません。
私には、制作側の怠慢、ずさんさ、横柄さが目につきました。

当初、大人の事情でドラマ制作にプレッシャーが与えられ、制作現場が委縮するといった論調が、したり顔の芸能人たちから多数出されましたが、なんだか論点をすり替えられているような気持ち悪さがありました。

このドラマを見て、実際に傷つき、辛い思いをした子どもたちもいると言います。
その事実はどうでもいいのですか?
そんなドラマを見せなきゃいい? 見るほうが悪い? 放映の時間帯を変えればよかった?

テレビ界・芸能界の"おごり"のような嫌~なものを感じたのは、私だけでしょうか?

この件に関する論評は、心ある元テレビマンの下記のブログが秀逸です。
非常に詳細に経緯を追い分析した上で、まっとうな論が誠実に綴られています↓
http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20140129-00032115/

おもしろければいい、楽しければいい、売れればいい。
というのは、やっぱり、なんかおかしいですよ。