2014年1月14日

ふわふわしたコトバ

年末から年始にかけてとにかく怒涛の日々でした。
ということで、すでに新年明けてもう2週間です、すみません......!
大変遅ればせながら、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

年賀状をくださった皆さま、ありがとうございました。
勝手ながら私、昨年より年賀状を送るという習慣を一切止めてしまいましたので、この場をお借りしてお礼とお詫びを申し上げさせていただきますことをお許しくださいませ。

さて、昨日のNHKの『クローズアップ現代』。
「あふれる"ポエム"?! ~不透明な社会を覆うやさしいコトバ~」。
私、食い付きました。

ここで言うポエムとは文学的な詩を指しているのではなく、巷に溢れる「わかりやすい、やさしい、きれいな」、でも曖昧なふわふわしたコトバ。「みんな幸せ」、「きずな」、「仲間」、「夢を大事に」など、誰にも文句を言わせない力があり且つ、一方で使い方によっては薄っぺらで浮ついているような、胡散臭く感じるコトバ。

番組冒頭の「居酒屋甲子園」で熱狂しながらポエムコトバを吐く若者たちと、それに感動して目を潤ませる観客の若者たちの姿には、正直、怖くなりました。番組に出ていたコメンテーターの1人(大学の准教授)は、「一見、異様に見えるが、過酷な労働環境にいる彼らからすれば、ああいうコトバで自分を鼓舞し、やりがいを見つけなければやっていけないという現状がある」と話していました。が、それでも私には、彼らが、安っぽい感動を押し付けられ、その中に自身を閉じ込めることを強いられているように見え、違和感を抱きました。

日本社会のポエム化を危惧する声は以前からあったと言います。

時に主語と述語がつながっていない、言いたいことがはっきりしない、行間を読ませるようなポエムコトバで綴った雰囲気文章に気持ち悪さを感じていた私は、番組のもう1人のコメンテーター・コラムニストの 小田嶋隆さんの的を得た発言にいちいち納得。

小田嶋さんのコラムって独自の鋭い視点と切り口があって、いつもコトバの選び方から文章の紡ぎ方までうまいなぁ、頭がいいなぁこの人と感心することしきり。そのひねりの効いた比ゆや表現には思わず膝を叩いて笑ってしまいます。

その小田嶋さんの番組でのコメント、響きました。

ポエムコトバは、物事を単純化、曖昧にしてしまい、ともすると説明を放棄し、大事なことを隠ぺいしてしまう力がある

ああ、なるほど! 私が感じていた違和感の正体はここにありましたか!
さらに、

これらのポエムコトバの対極にあるのが、いわゆるジャーナりズムが勝ち取ってきたコトバ。つまり、5W1Hです

そう、そう、そう!!! そうなんです、その5W1Hがないから、なんか煙に巻かれたようなぬる~い感じがしてたのですね~。

小田嶋さんは最後に、こう締めくくりました。

問題は行政など公的権力がポエムコトバを使い始めたこと。その時に私たちは5W1Hで問いかけなければならない

つまり、「いつ」、「どこで」、「誰が」、「何を」、「どうした」という、文章の構成要素=物事の理解に最低限必要な要素を確認するということ。具体的には何が言いたいのか、ゆるいコトバでごまかされている部分をチェックせよということです。

東日本大震災後に溢れた、「きずな」、「つながり」、「仲間」といったコトバ。
直後はずいぶんと励まされ癒されましたが、日常の、物事を理解し選択し判断を迫られる場面でも同じようにふわふわした思考のままでは、う~ん、さすがにこの先日本はどうなるだろうと不安になりますよね。

リテラシーがあらゆるところで求められているさなか、それを放棄するかのような、それを覆い隠すかのようなふわふわしたコトバ=ポエムコトバの氾濫は、やはり看過できないような気がしています。

ああ、きょうはいまお手伝いしている山形県のある会社のお話を書くつもりが、、、別の話題になってしまいました。
その話はまた次回に~。