2013年11月28日

活性化未満

先々週、第12回全国グリーンツーリズムネットワーク福島大会が開催されました。
福島県下8市町村で分科会が行われ、私はそのうちの会津坂下町分科会のコーディネーターを務めました。

そもそも、グリーンツーリズム(以下GT)って何なの?
平成4年に農水省内に研究会ができてGTと言う概念が導入されてから20年以上が経つのに、未だに言葉(用語)としては知っていても、今一つよくわからない、説明しづらいという声を耳にします。

昨今では、GTの意味が「農林漁業体験」と「農家民宿」のみに矮小化されてきている傾向も。
ガット・ウルグアイラウンドを目前に控え、日本の中山間地域の農家の生き残り策として農水省が目標とした欧州のルーラル(アグリ)ツーリズムの哲学はいったいどこへ行ってしまったのか?という感じです。

会津坂下町(以下、ばんげ町)の分科会では、町外からばんげを目的に足しげく通うリピーターお2人と、町内在住者お2人(ばんげ出身でUターン後養鶏就農、ばんげ出身在住で米とメロン農家であり会津坂下町GT促進委員会現会長)という外と内の両方の視点からばんげ町のGTを改めて眺め、「ばんげGTの原点」と「これからの方向性」について議論しました。

分科会コーディネーターに指名されて以来、パネリストの方々とはメールや電話(時にはお会いして)で連絡を取り合い、「どんなプロフィールをお持ちの方なのか?」、「志向は?」、「どんな思いを持っておられるのか?」、「GTへの見解は?」といったことを伺いながら、私のほうで事前に当日の構成を詰めさせていただきました。

もちろん、ディスカッションはナマモノですから、おおまかなシナリオを描いていても、その通りにならない場合が多々。
でも、そこがおもしろいところであり、ライブの醍醐味でもあります。

当日は、4人のパネリストの方々のご活躍もあり、会場の参加者の皆さんから活発なご意見が飛び出し、まさに「侃々諤々」の議論が展開され、、非常に充実した内容の濃いおもしろい分科会となりました。
あと1時間あれば、もう少し議論を集約できた感もありますが、あの会場におられた皆さま方には少しは「おみやげ」を持って帰っていただけたかなと思っています。
私も久しぶりにGTについて考えるよい機会となりました。

パネリストの皆さま、会津坂下町事務局の皆さま、ボランティアの皆さま、その他ご協力いただきました皆さま、そしてご参加いただきました皆さま、本当にありがとうございました。

ちょっと、前置きが長過ぎました(失礼しました。この分科会の内容および全国GTネットワーク福島大会の詳細については、また別に機会に...)


本題はここからです。
会津坂下町分科会の懇親会で参加者の皆さんらと交流を深めていた時のこと。
話題は、補助金。
ある参加者が、こんな話をしてくれました。

「でね、その(地域づくりのための)組織が存続していく(活動を続けていく)ためには、活性化させちゃいけないんです...」

なぜならば、活性化してしまうと支援不要とみなされ、補助金がもらえなくなるから。

ああ、なるほどと思いました。
「非常にがんばっているけれども、今一つ支援が必要」の状態にキープしておくことが団体運営のコツとでも言うのでしょうか...。

「補助金は麻薬」
しかし、劇薬はタイミングよく活用すれば、効力を発揮してくれるものでもあります。
だから、使い方が難しいわけでもありますが、特に、団体・組織の立ち上げ時に補助金を何にどう使うかが重要、ココが分かれ目といっても過言ではないかもしれません。

たとえば次のようなパターン...。

<パターン1>
団体設立間もない頃に、補助金で派手なイベント(シンポジウム等含む)をいくつか行う。

華々しいデビューで世間の注目も集めます。
しかし、イベントは開催後が大事。イベントをどう活かし、その後にどう結び付けるのか。
それを考えないまま、外部に「がんばってます」アピールで補助事業を使うと、最初が派手だっただけにあとが続かず、結果、補助金依存団体への道まっしぐらになってしまう......。


<パターン2>
団体立ち上げ時に補助金を活用し、経済的自立に向けた基礎的体力をつくろうとする。

公共的課題をテーマに活動している団体の場合、自主事業で収益を上げられるようになるには時間もかかり、かなりの努力が必要です。その間を補助金で賄おうとするのですが、いつのまにか補助事業をこなすのに精いっぱいになり、思ったほど自主事業が育たない。結果、補助金という薬を頼りに組織を継続させていくことになってしまう......。


そして、補助金のいいところ(?)は、一度もらうと、がんばっている「優良団体」とみなされ、「こういう支援事業があるんだけど、応募しないか?」、「あなたの組織で使ってもらえないか?」といった具合に補助金の情報が入ってきやすくなり、どうやら実際に補助金がもらいやすくなる(応募しても採択されやすい)らしいという点です。

企画書や応募書類づくりに慣れた団体であれば、補助金をもらう技術も体得しています。
また、前例主義の役所は、確実に補助金を使い事業をこなしてくれる団体におカネを下したい(それが彼らの実績になる)ため、双方の利害が一致し、結果、補助金をもらい続けることで組織を回すようになり、常に補助金が必要な組織状況を保つといった本末転倒の事態になる......。


「活性化未満状態を維持すること」は、もしかすると、それは意図的ではなく、結果的にそうなっている面もあるのかもしれませんが、それでもそうした意識での組織経営が常態化していけば、永久に補助金漬け。補助金がなくなれば、組織も事業も活動も終焉を迎えるということになります。


問題は、どこにあるのでしょうか?
補助金は公的なおカネです。税金です。事業がきちんと遂行されなかった場合などに限って返却を求められますが、基本的に返さなくてもいいおカネです。これで建物や施設などのハードを整備できれば、資金のない人たちは大変助かるわけです。
でも、そのことが事業計画自体を甘くしてしまっている面も否めません。

中には、「役場から加工場に補助金が出るからと言われてつくったはいいけど、今は稼働してない」、「役場に言われて補助金で機械を導入したので商品をつくってみたけど、商品が売れなくて困っている」と言った情けないというか納税者が怒りの声を上げる事例も多く見受けられます。

アフリカなどの援助にも言えることですが、長く援助下にあると、援助されるほうは援助慣れして、常に援助に期待するようになる...。同じことが農業や地域の世界でも言えるのでは?


もちろん、本当に支援が必要なところ、人もいます。
単発の支援では解決の糸口が見えないような複雑で深刻なテーマもあります。

問題は、危機感のそれほどない人たちが安易に補助金に手を出し、その後の事業や組織の維持に苦慮している状況ではないかと思うのです。

借金だらけの日本ですから、そうそう国の補助金を当てにはできません。
活性化未満から「活性化」(毎度のことですが、この言葉好きではありませんが)へと本気で舵を切る、その選択がもしかすると組織の解散につながるのであれば、一旦止めてみるのも手かもしれません。

それでも課題はまだ解決していない、活動が必要ならば、目的や目標を見直し、また新たに組織を立ち上げる。どうしても必要ならば、動きが起こるハズです。

その時の原動力となるのは、とにかくなんとかしなければ!という「心からの危機意識」です。