2013年11月25日

共通言語

ブログ、また長らくほったらかしてました(スミマセン)。
いろいろ思うことあって、書きたいこともいっぱいあったのですが、忙しさにかまけているうちに、思いついたテーマの多くは忘れちゃいました......。


で、改めて本日のタイトル「共通言語」。

今、私たち女性3人の地域課題解決ユニット「てまかえシスターズ」の次女が、彼女の実家の愛媛県久万高原町で、友人の造林会社の社長Iさんと共に地域づくりに奮闘しています。
元議員でもあるIさんは、普段はとても雄弁な方。
「口を開けば立て板に水、反対意見も見事論破する」
というのが、周囲のIさん評です。

しかし、この時は様子が違っていたようです。
10月にIさんの会社のガレージで開催した、Iさんと次女が立ちあげたプロジェクトの住民の皆さんへのプレゼン&意見交換会でのこと(私はこの会のディスカッションコーディネーターをしていました)。
Iさんをよく知る男性の友人たちは言いました。
「きょうは別人のようだった」

「俺、議会ではよく司会をしていて、落とし所もいつもきちっと決めて、バシッと仕切って終わらせてたんですけどね」
と、Iさん。

議員として、堂々と丁々発止舌鋒鋭く意見してきた彼の経験を考えれば、人前でしゃべるというプレッシャー、緊張感がそうさせたとは考えにくい。
ならば、原因は、会でしゃべらなければならなかった「内容・中身」です。

コトバにするのが難しい、自身の引き出しにない概念を他人と共有しようとして、戸惑っている......。

実は今、Iさんも、次女も、まだ"もわもわっとしている"、でも強烈な、地域や将来への思いを整理して、具体的に、他人にわかるように伝えることに挑戦中です。

使い慣れた、ありきたりの、どこかで聞いたようなコトバで説明しようとすると、陳腐なうすっぺらいものになってしまい、なんか違う。
コトバを探すけれども、なかなかぴったりのコトバが見つからず、だからただたくさんしゃべって、コトバでその核心への距離を埋めようと必死になってしまう......この日のIさんはそんな感じではなかったろうかと推測しました。

そんな悩める自身の姿を正直に、それこそ堂々と皆さんの前にさらけ出したIさん...スゴイです! 
私は心からの称賛の拍手を送りたいと思いました。

しかし。
この会の最後には、参加者の中からこんな意見も飛び出しました。
「2人(Iさんと次女)が何をしたいのかが、よくわからなかった」

では、2人は自分たちがやりたいことを語っていなかったのか?

否、2人、特にIさんは、冒頭で懸命に思いを語っていました。
でもそれは、その参加者(男性)の心には届いていませんでした。

この事態、よーく考えて、私には、なんだか見えてくるものがありました。

「わからなかった」のは、頭・論理で理解をしようとしていたからではないか......。
けれども、2人が欲しかったのは、おそらく、理解ではなく、共感です。

まだ、曖昧模糊としたものだけど、ようやく見えてきた「芽」とおぼしきものを、地域の他の人々と分かち合って、一緒に育てていきたい、その根底にあるのは、地域で若手が窮屈だと思っていることを少しでも変えて、より住みよい地域にしていきたいという思い。

「なんかよくわからないけど、2人が一生けん命なのはわかった。こういう本音で語る会を開くこと自体、地域ではなかなかないこと。スゴイこと。ここから始めようよ。協力するよ」

2人が聞きたかったのは、そんなコトバだったのかもしれません。

男女平等、男女共同参画がうたわれながらも、社会はまだ厳然として"男社会"です。
男性の思考回路でつくられ、男性のルールとコトバで回っている社会=大人の社会(ホントは違うと思いますけど...)に慣れ親しんだ私たちは、いつしか、行政書類によく出てくるような硬くて小難しいかっちり熟語を使うことで、なんとなくわかったつもりになってはいないか。
たとえば、「地域活性化」、「人材育成」、「資源活用」、「課題解決」、「資金調達」、「多様化」、「環境保全」など...。

Iさんが、こうした馴染みのコトバを使って、論理を組み立てて説明をしたら、もしかすると、参加者の男性の中にはある意味、表面的には納得感を持ってくれた人がいたかもしれません。

でも、この熟語が曲者なんです。
聞いた途端に「ああ、そういうことね」と、思考が停止してしまいます。
本当は理解できていないにもかかわらず。

たとえ稚拙なコトバであっても、舌足らずであってもいい。
集った人たちが自分のコトバで、本音でたくさんたくさん語って、語って、語る中からふとモレ出る心の声を掬い取ることが大事だと私は思っています。

だから、2人には敢えてこれらの熟語を使わずに、皆さんに思いを伝えるようお願いをしました。

もう1つ。
Iさんが、男性同士で語り合う時は、とうとうとよどみなく、自信に満ちた、「みんなの知るIさん」だということを小耳に挟んだ時、私は気づきました。

そうなんですね。
男性は、男同士、自分たちの間でのみ通用するコミュニケーション法で会話しているんですね。
それは同様に、女性にも言えること。
だから、男性は、気持ちの理解を求める女性の言い分に戸惑い、理解に苦しむ。
理屈を通す夫と、感情で迫る妻の夫婦げんかの構造ですよね。

もちろん、これは、男性と女性とがコミュニケーションできないということを言っているわけではありません。
男性・女性の別なく、上手にコミュニケーションが取れる人もいるでしょうし、男女混合の仲間同士仲良く会話することは難しいことではありません。

ただ、根本の深いところでどうしても理解できない「何か」があるとすれば、それは互いの「共通言語」がないことに起因するのでは?

思い返せば、組織にいた頃の私は、時に、男性の思考に合わせ、男性の論理で話し、書類を作っていました。
ずいぶん昔、ある仕事でご一緒したメンタルヘルスの先生に、「永田さんはおもしろい。他の女性と違う。女性なのに、とてもストラクチュアルですね」と言われたことがありました。それは、私が自然と身に付けた男社会で生き抜くための処世術だったのかもしれません。

話を戻します。
男性と女性とでは脳の機能・その使い方が異なると言われています。
論理で考え、頭で理解する男性と、感覚・イメージで理解する女性とでは、正確には、同じ日本語という言語を使っていても、会話で使うコトバの捉え方が違うのではないか。
これには、ノンバーバルな要素も含まれているのかもしれませんね。

そこで。
男性も女性も含めて広く多くの人に理解してもらいたいことがあり、想いを共有したいのであれば、イメージを「画」にすることです。

Iさんと次女も、もやもやしたコトバにできなかった思いをイメージで捉え直してみたら、ぼんやりと見えてくるものがありました。
それを、Iさんが、さっそく、ステキな「画」にしてくれました!
そうしたら、各段に周囲に説明がしやすくなり、協力も得やすくなったとか。


混迷の時代を切り拓いていくには、感性に訴え、気持ちを捉え、いかにして共感を呼び起こすか。
つまり、女性が男性と異なる点、女性の優れた能力がカギとなってきています。

しかし、前述のように、一般的には、男性と女性にはどうも共通言語がないよう......。
だから、

①思い描くイメージや、気持ちを具体的な「画」に落とし込む
②男性社会で通用するコトバ、男性が使い慣れた・聞き慣れたコトバで説明し、文章化すること

①で視覚的に理解を求めると同時に、②で男性がより理解しやすい世界でもアプローチ=頭で納得させる
があれば、今よりもっと多様な人たちが協力し合っていく場面が創出できるのではないか。

と、思うのですが、いかがでしょう?
私もIさんや次女と一緒に、日々学ばせていただいている最中です。

※Iさんと次女のプロジェクトは、地域の根本の問題に切り込む、とても勇気ある取り組みです!
それについては、もう少し輪郭がはっきりしてきた段階でお伝えしますね~。