2013年10月 6日

予定調和

「予定調和」。
私はこの言葉が嫌いです。

でも、予定調和って、安心するんですよね。

とりあえず、誰も文句を言わないもっともらしい内容を、きれいな言葉と高尚な文言でまとめて結論づける......。
そこに落とし所を決めておけば、触れたくない、根深い問題を避けられます。
みんな笑顔で「よかったね」で終わることができる、最適の「逃げ」の手段であると思っています。

時には私も予定調和も仕方ないと思うこともあります。
が、何年も何度も同じことを繰り返し、何も根本問題が解決していない地域の現状を見るにつけ、小手先の手段で解決しようとする地域の姿勢に大いなる疑問と限界を強く感じてもいます。

ならば、予定調和することをやめれば?

しかし、そうすれば、当然、地域の中にさざなみが立ち、波紋が広がります。
寝ていた子を起こすことになります。

そこで暮らしている、そこに住み続ける皆さんにとって、地域がかき回されてしまうのは、困ります。

かといって皆さんが現状に納得して満足されているのかというと、それは別。
公の場では意見せずとも、けっこう皆さん裏では文句タラタラ。
ちゃんと地域のどこに問題があるのか、わかっていらっしゃるんですよね。

そこに切り込めない理由も、理解できます。
複雑な人間関係、しがらみ......そんなことに手を付けたら、後が大変。
せっかく表面上はうまくいっている人間関係に亀裂が生じてしまいます。
敢えて敵をつくるような損な役回りなんか、誰だってしたくありません。

だから、なんとか、地域のタブーであるこの根深い問題をスルーして、外向けに「ちゃんとできています」と見せられる、いや「ちゃんとやりました」と言えるような事業(手段)として飛びつくのが、横文字ワードや概念だったり、都会で流行っている流れに乗ること。

たとえば、国の補助金で行われている各地の事業をみても、少しだけテーマを換える、対象者や対象範囲を換える、トレンドのキーワードを入れるといったマイナーチェンジで、同じようなことが同じように行われている例が多々。
また、作文された文章(事業趣旨や目的など)を読むと"それなり"なんだけれども、「根本」や「本質」を微妙に避けており(その上澄みを上手になぞっている)、予定調和的な一見素晴らしい事業になっているものも見受けられます。

根本の問題は、避けても追いかけてきます。
年月が経つほどに硬さと厚みも増し、住民の体の中に風習や文化として刻み込まれ、抜けきれなくなり、次世代への負の遺産が増えるだけです。

どうか諦めずに、怖がらないでください、予定調和を乱すことを。
そこで出てきた問題意識や地域の負の側面。そうした根本問題に切り込むことは、必ずしも傷口に塩を塗ったり、傷口を広げたりすることではない、と私は思っています。
いわんや誰かを糾弾することでもありません。

負の面に目を向けるのはつらいことです、嫌なことです。
けれども、自ら客観視して、反省することから、忘れていたもの、本当に自分たちが誇れるものが見つかることだってあります。
そして、現状で懸命に努力している人たちを称賛し、皆で認めて、前に進む力を得ましょうよ。