2013年9月 5日

本音の議論

台風の影響で各地でまた大雨の被害が出ています。
浸水などの被害に遭われました皆さま、心からお見舞い申し上げます。

いま、新幹線で岡山へ向かっているところです。
昨日、急きょ、本日5日開催の岡山県の6次産業の研修会が10月に延期になったのですが、翌6日に予定されている高梁市での研修会は決行です。
西へ行くほどに青空が広がっていますが、新幹線は、最大で約15分の遅れが出ています。


さて、またまた「地域づくり」について、です。

現状や将来についての危機意識の希薄な地域では、地域づくりはうまくいきません。
住民がその必要性を感じていないからです。
住民にその気がないのであれば、行政がどんなに旗を振ろうが、よくて表面的なお付き合い、悪ければ拒否されてしまいます。

しなくていい支援は必要ありません。それこそ大きなお世話だからです。

地域を俯瞰し、外から客観視した時に、「このままではマズい」という状況があるのだとすれば、それをどうにかして住民に意識してもらい、危機感を共有することが第一歩です。

その危機感の共有のために大事なのが、「本音の議論」です。

最近、ある町の地域づくりのキーパーソンが、こうもらしました。
「我々は(地域のことに関して)『地域』というキーワードを使いながらも、実は地域内で本音で語ることをせず、議論を避けてきた。いま、そのツケが回ってきている」

最初は、有志で「そうだ! 徹底的にやらなきゃダメだ!」と盛り上がります。
メンバーはこれまでの表面的イベント地域づくりはうんざり、実効性が乏しいことは重々承知していますから、今度こそ根本の問題に切り込むのだと意気込みます。

そして、数回の会合を重ねるうち、あるいは年月が経つうちに、「おや?」
メンバーの言うことが変わってきます。中心的存在だったメンバーでさえ。
ブレるんです。地域の中の人間関係、それを取り巻く環境によって、その小さな世界のバランスを保とうとして。
ああ、この地域、あの人でさえ、そうなんだ......と、言うケースを立て続けに目の当たりにしました。

あんなに燃えて、硬い決意で臨んだハズの事業が、いつのまにか、またぞろどうでもいい一見華やかなイベント事業やとってつけたようなシンポジウムなどにすり替わっていたりします。

こっちのほうがラクだからでしょうね。
見えやすいし、「やった感」もありますし、説明もしやすい。
だから、特に行政は、何かあると集客イベント(セミナー、シンポジウム含む)をしたがります。

地域づくりで実施する「アイテム」のパターンがあるように思います。
でも、それも、おカネのあるうちは繰り返しやれました。
国全体で財政が厳しい昨今、もっと実効性のある事業を、行政でなく民主導でと、行政が市民に呼び掛けるも市民は知らんぷり。

多くの行政が、おカネのある時代の地域づくり手法に今でも甘んじている気がします。
そうして、予算を獲得して、お題目を用意して、「市民主体」というオブラートに包み、毎度おなじみの充て職で委員会の委員などを選び、「お願い」してやってもらう......。
そうしたやり方に、「いい加減にしてほしい」と思っている市民はさらに反発を強め、あとはシラけ、諦めていく...。

今さら「市民の時代」とか、「市民との協働」などを行政が掲げても、市民がついてこなくなってしまっています。

農山漁村だけでなく、日本社会そのものに、議論を嫌う風潮があります。
「まあまあまあ」となだめ、丸く収めて「和」を保つのがヨシとされてきました。

会社は、利潤の追求という目的がありますから、「和」をもって貴しとはいえ、ある意味合理的な判断を下します。
しかし、地域はそうはいきません。会社とは物事の優先順位が違います。
そこで、出てくる曲者が、「地域のコンセンサス」です。

住民全員が賛成することなんてありえません。
従って、すでにトップで物事を決定しておきながら、「一応みんなにも意見聞いたんです」という言い訳程度に意見を公募したり(政府が実施するパブリックコメント募集もそんな感じですよね)、儀礼的に住民説明会が行われたりします。

けれども、住民全員がもろ手を挙げて賛成することはなくても、自分も言いたいことを言って、他人の意見にも耳を傾け、納得する...というプロセスを踏むことはできると思います。

そうした、地域の皆さんだけでは、住民同士だからこそ言えないこと、気づけない本音の議論の会を各地で行いながら、改めてその必要性を痛感しています。

勇気を出してやってみれば、必ず、見えてくるものがあります。
自分の地域を何とかしたいと思っていらっしゃる皆さん、どうぞ、私のような外者、よそ者をうまく使ってください!