2013年1月 9日

『高校三年生』~先輩たちに感謝!

♪あか~い夕日が~校舎を染めて~♪
有名な国民的愛唱歌、舟木一夫さんの『高校三年生』です。
ここ数日、この歌が頭の中をぐるぐる回っていて、気がつくと口ずさんでいたりしています。

懐メロ好きなわけではありません。

なのに、なぜ今『高校三年生』が頭から離れないのか。
この正月、NHKの『思い出のメロディーと私~高校三年生』(再放送)という番組を見たからなのです。
見たといっても、実は途中まで。
涙がこみ上げてきてどうしようもなくて、見ていらなれなくなってしまい...。

夏恒例の大型歌謡番組「思い出のメロディー」は、毎年多くのリクエストをいただく。中でも、いちばん多いのが舟木一夫の「高校三年生」。それぞれの心に 「かけがえのない青春の一曲」として今も響き続けている。番組では、そんなリクエストをした視聴者を取材し「私」にとっての「高校三年生」を、ミニドキュ メント風に描く。またこれほどまでに日本人の心をとらえた「高校三年生」の誕生秘話や歌手・舟木一夫自身の苦悩も紹介(NHKの番組紹介より)。


何気に番組のナレーションが耳に入ってきた時、「一番多いリクエストがなんで『高校三年生』なの?」と思った私。
覚えやすいマーチ調のメロディーと青春をうたった歌詞。当時人気があったこと、それが歌い継がれてきていることは理解できるものの、No1は他の懐メロでしょう、とぼんやり考えていました。

ところが、その理由がリクエストした視聴者の体験談を通して番組内で明かされていくにつれ、この歌が内包する思いの深さと多くの人の切なさを知った時、思いもよらず、涙が込み上げてきてしまったのです。

今でも、舟木一夫さんのコンサートは大盛況、チケットはいつも完売。
来場する人たちは口ぐちに「『高校三年生』を聞きたい」、「あの曲は特別だ」、「今でも勇気と希望をくれる歌」と言います。

1960年代はじめ、高校を卒業した多くの若者が「集団就職列車」で地方から上京しました。

「この歌が励みだった」
「辛い時は、歌詞の、『ぼくら 離れ離れになろうとも クラス仲間は いつまでも~』の部分を歌って、クラスの仲間たちの顔を思い浮かべてよしがんばろうと思った」

リクエストした視聴者の1人の男性のこの言葉が、私の心の琴線に触れました。

家庭の事情で高校へも行けなかった女性は、高校生活への憧れを込めて、この歌に特別な思いを寄せていました。

『高校三年生』と共に歩んできた人たちにとって、この歌はまさに「自分のための歌」。

歌った舟木さん自身は、その後のフォークソングブームなど、時代の流れから取り残されまいともがき、一時は『高校三年生』との決別を考えます。
しかし、この歌が、この歌のファンが彼を離しませんでした。
長いブランクを経て舟木さんが出した結論は、同世代の方々のために歌うこと。

舟木さんは言います。


「高校三年生」 と言うのは 誰が書いたとか 誰が歌ったとか
とっくに通り過ぎて 「高校三年生」 そのものが 日本の歌だったという事だと思うんですよ。


日本の高度経済成長期を支えてきたのは、この歌と共に生きてきた方々。
『高校三年生』の歌を口ずさみ、さみしさや辛さをぐっとこらえて、ひたすら働き、走ってきた先輩たちがいたからこそ、私たちは今日の繁栄を享受できている......。

翻って、当たり前のように高校へ行き、大学へも進学し、モノが溢れる社会に生きながら不平不満ばかりの私たち。
もちろん、今でも高校や大学へ進学できない人や、就職難に苦労する人、派遣労働で不安定な生活を強いられている人たちなど、現代には現代の「生きにくさ」や「困難」が存在します。

とはいえ、あの時代、純粋で一途な地方の若い力がものすごい原動力となり、現代の日本の経済社会の基礎を築いたことは事実。
またもや、わかっていたつもりが...です。きちんと実感できていませんでした。

こんなにも多くの人たちの憧れ、希望、勇気、切なさ、愛...を投影し、それらを歌を通して今なお与え続けている『高校三年生』という曲のスゴさ!

まだしばらくは、この歌を私の頭の中で鳴らし続け、先輩たちへの感謝を今一度胆に銘じようと思います。