2012年8月27日

便利になるほど、豊かになれない?

携帯電話4社と東京メトロが、年内に地下鉄全線内でインターネットができるようにするそうです。
このニュースを読んで私は、「えーっ、そんなこともういい、やめてほしい!」と、思わず声に出して叫んでしまいました。

MSNの産経ニュースにはこうありました。

東京メトロや携帯4社は「車内ではこれまで通り通話はご遠慮ください」「優先席付近では電源をお切りください」としているが、メールやネット接続については、車内での利用を勧める姿勢を強める。


う~ん、そこまでして、東京メトロ、携帯4社は儲けに走りたいのでしょうか?
今回の地下鉄全線でネットが接続可能になるというのは、表向きは、乗客サービスの向上、生活者により快適で便利なサービスの提供でしょう。
しかし、本当に、私たち生活者のためなんですか?

今でも優先席付近で、あるいは優先席に座って平然と携帯を触っている人をよく見かけます。
混み合う電車の中でも必死に携帯をいじっている人がいます。
携帯をいじるために、その人のまわりだけスペースができています。
他の人はがまんして少しでも多くの人が乗れるよう体がくっつくのを不快に感じながらも詰めているというのに。
彼、彼女はそこまでして携帯を見なければならないほど多忙で緊急の用事を抱えているのか?
否、たいていはたわいないメールのやりとりかFacebookなどのSNSのコメントのチェック。ゲームに興じている人もいます。

地下鉄に乗った時までもネットに接続して、ネットの先の誰か(たち)とだけの世界に浸ることを望み、さらに狭い世界のつながりに身を置く人が増えていくことは、怖いことだと思いませんか?

便利なサービスや環境は、人間をより怠惰に、傲慢に、自己中心的にしていっているような気がしてなりません。

事実、「生活をもっと便利にします」とうたう新サービスや機器が登場するたびに、私たちは競い合って消費させられ、その結果、便利になって気持ちにゆとりができるどころか、空いていた時間を別の消費行動によって埋めることになり、別の忙しさが増えただけ。

駅のホームで電車を待っている時にふと周りを見回せば、多くが携帯画面を見たり、操作していたり。
あげくに、スマホを操作しながら歩いてきた人とぶつかった視覚障害者がホームから転落するなどの事故も起きています。

地下鉄内は全線、携帯電話、インターネット禁止(駅のホーム、構内は歩きながら携帯は禁止)。災害時、非常時のみ、使用可能。
一度どこかの鉄道会社でそんな実験をしてみてはどうでしょう?
乗客からのクレーム爆発で、乗車ボイコットでも起こるでしょうか?
いや、単に誰もそんなルールを守らず、実験どころではないでしょうか?

電車に乗っているわずかな時間でも「通信」にすがりつくのは、もはや禁煙できない喫煙者と同じ立派な依存症です。

もちろん、私も、日常的に携帯もPCも使っています。
ただ、機械に使われないように自戒しています。
……というより、がっつり使いこなせるだけの能力がないために、ほどほどの付き合いで済んでいるというだけのことなのですが(笑)。
適度にアナログ、それがいいのです。