2012年7月25日

とりあえず作ってみるのが農業の6次産業化?

暑いです、毎日。
熱中症対策に、いつもペットボトルの水を欠かさず携帯しています。

先日の九州豪雨。
実家は高台にあるため、まったく問題なかったのですが、テレビで白川が氾濫している映像を見て、熊本市内中が浸水したと思った幾人もの友人たちから「大丈夫?」コールがかかってきました。
メディアはセンセーショナルな同じ煽り映像ばかりを流し続け、そのため、「熊本全域がとんでもない事態だ」と視聴者に勘違いさせてしまったようです。
また東日本大震災時もそうでしたが、繰り返し見てしまうショッキングな映像に、安否のわからない友人・知人のことを思いパニックや鬱状態になった友人もいました。
迅速正確的確に伝えるべきニュースですら、「視聴率」がちらつく報道に、またもや辟易させられました。
ただ、実際、熊本県北部地域の被害は甚大でした。
被害に遭われました方々には心よりお見舞い申し上げます。

さて、きょうの話題。農業の世界では今や大流行、というより、これぞ特効薬とばかりに必ずや登場するワード「6次産業化」。
私はかなりうんざりしています。
なぜならば、1次産業(原料供給)だけだった農業に2次(加工・製造業)、3次(サービス業)を加えさえすればバラ色的な上滑りの捉え方とその勢いに危険なものを感じるからです。

先日も、日本農業新聞に、あるコンサルタント氏の「6次産業化の手始めにはドレッシング製造が向いている」的なアドバイスが載っていました。確かに、素材を加工しやすく、パッケージ代も安く、デザイン等を手作りすれば低コストで完成します。

しかしながら、この記事には商品の「市場」についての言及はなく、読者が誤解するのでは?と老婆心ながら思ってしまいました。

農山村部の農産物直売所、道の駅に行けば、手作りドレッシングは溢れています。
地域産品流行りの昨今、都心でも地域特産の素材を強調したドレッシングはあまたあります。
ドレッシングって、そんなに売れるものなんですか???

「とりあえず作る」の姿勢は、作ってから売ることを考えていた一昔前の農業と同じです。
みんなで集まって、力を合わせて何かを成し遂げることの素晴らしさを否定するつもりはありません。地域づくりは、「まずできることから始める」というスタンスには賛成です。それが自らの生き甲斐づくりを兼ねたもので、無償労働もいとわない、楽しければいいというものであれば問題ないと思うからです。
しかし、それがひとたび人を雇用するための事業になった場合は、そうはいきません。

15年ぐらい前から地域経営という言葉がよく聞かれるようになりました。
そこで最も重要とされ、強調されてきたのは地域のコンセンサスづくり。
私には、とても「経営」という言葉から程遠いものに思えたことを思い出します。

コンセンサスづくりは大事です。しかしそれだけで「経営」ができるわけではありません。
経営とはマネジメントです。人、おカネ、組織を管理し、事業を行い、収益を上げていかなければなりません。
その商品をつくれば確実に収益が上がるのですか?

今は農業や田舎的なものに追い風が吹いています。
だから、地域特産品の素朴さ、素材感を出してメディア受けを狙えば、話題にはのぼるでしょう。
しかし、息の長い事業にしていくには、きちんとしたコンセプト(哲学)とミッション(使命)が必須であり、それに基づいて向かうべき方向性を決め、買い手の声に耳を傾け、世の中に必要とされるものを生み出していく過程が重要となります。

そのために、それを指導する「6次産業アドバイザー」なる人々がいる、という理屈になるのでしょうか???

そもそも集落の自治の仕組みは、企業の組織マネジメントとは似て非なるものです。
人材に替えはききません。外から連れて来ることはできるかもしれませんが、容易ではありません。
コンサルやNPO法人を隠れ蓑にした企業にマネジメントや事業そのものを託すのでなく、農村の指導者、リーダーたちがまずはマネジメントについて学ぶべき、と私は思います。

行政職員、JA職員……首長もしかりです。
本気で6次産業で農村を活性化したいのであれば、他力でなく、自力で「村」を住民を社員とした1つの会社として成り立たせるにはどうするかを、貪欲に学ぶ。つまり、農村内部にその人材を育成すべきであると考えます。