2011年7月28日

肉牛の放射能汚染

肉牛の放射能汚染が拡大しています。やっぱり、の感です。
インターネット上には原発事故後早々にドイツやフランスの放射性物質の広がりの予測図がアップされていましたが、放射性物質は気流や雨雲に乗ってまたたく間に広がっていき、日本列島に非常に広範に降り注いだようです。

思い出すのが、ある日のテレビ(NHK)のニュース。
福島県のある村の畜産農家の牛が、セリに掛けられたと報じていました。一瞬、耳を疑いました。
村外への避難を控え、最後の牛を無事出荷、ホッとして少し寂しげな表情の生産者の顔が映し出され、その映像にかぶせて淡々とニュース原稿が読まれていきました。

原発被災地区の牛を出荷? このニュース原稿をつくった人は、原稿を読んだアナウンサーは、少しも疑問に思わなかったのか? 当然、行政は放射性物資に汚染されているかどうか検査した上だ……と言うだろうけれども、どの程度の精度で検査されたのか? どう好意的に見積もってもあの段階で確実な検査と安全性確保はできていなかったのでは?

案の定、今になってセシウムに汚染された肉牛が次々と発覚。
政府は、行政は、原発事故の被害を軽んじていました。
そして、被害が実際に目に見えて現れて初めて慌てて検査を始める始末。最初から疑わしきは出荷せず、生産者への補償を第一に考え、できる限りの検査体制に総力と予算をつぎ込むべきだったのです。

パニックを恐れてか、被害者への補償額をケチるためなのか、見て見ぬふりをして事実をひた隠す。
どこまでも国民をバカにしています。

今回の原発事故で嫌というほど見せられたのは、危機に瀕した時に自己保身に走り、なお権力と利権に執着する強欲の塊りである人間の醜さと愚かさ。
もとはといえば、事故を起こした東電の責任であり、そうした危ない運転を黙認してチェックしてこなかった原子力安全・保安院の責任であり、原子力安全・保安院にやりたい放題させてきた政府の責任です。
生産者も被害者です。

しかし、農産物に放射性物質という見えない「敵」が入り込み、特に子どもたちに影響を与えることを考えた時、生産者は人一倍気を配り、最大限の注意を払うべきだったのでは? それが命の基である食べ物をつくる生産者の使命であり、“務め”では?

計画的避難区域に指定され、外からの物流が断たれ、支援物資も途絶え、牛に与える餌もなくなり、生活のために仕方なく屋外にある藁を与えてしまった農家を責められない、という同業者の声を聞きます。
しかし、いまは非常事態です。前回も書きましたが、今我々が第一に考えなければならないのは、私たちの未来を託せる次世代の子どもたちの命を守ることです。

各々の生産者にも生活があります。今回の原発事故の影響で、廃業の危機にさらされている生産者もいます。
だからといって、“務め”を放棄してもいいとは、どうしても私には思えないのです。

お米の放射能汚染への懸念から、22年度産米の買い占めが始まっています。お米の価格が上昇し始めています。
高値になることを見越して、低価格の備蓄米の入札に応じる業者が少なく、政府の備蓄米の手当てもままならない様子。
この先、先物市場に流れる投機的資金の影響でお米の価格が乱高下する可能性もあります。

お金儲けが悪いとは言いません。現代の生活に、お金はなくては困るものです。
でも、何か大切なものを失くしていませんか?

私は、もう3.11以前の生活に戻ることはできないと思っています。
この先、原発事故の処理、エネルギー問題、世界経済情勢の悪化、気候変動、食料危機……大変な生活が待ち受けていると覚悟しています。
だから、これからは助け合って、分かち合って、支え合って生きていきたい。

「きょうも一日あったかいご飯を食べることができてよかった。ありがとうございます」
そのことに感謝する毎日です。