2010年11月 9日

努力ってどこまですればいいの?

このところ木々の葉が一気に色づき、鮮やかな赤や黄色に目を奪われます。

夏の終わりからホントになが~~いこと放置したまま、「ときどき更新」ブログが「たま~に更新」ブログになりつつあり、大反省…。そもそも不精者の私には毎日更新なんか無理だし、適当に写真とコメントを載っけるというのも好きではなく……と、のらりくらり自己弁護。

1つお知らせです。
これもすっかり遅くなってしまったのですが、インターネットメディア『ジアスニュース』に「いちぐう」コーナーが開設されました。
8月より月1、いちぐう的視点で人や地域を紹介しています。
http://theearthnews.jp/
※右下のジアスラボの「いちぐう」のアイコンをクリック!

11月アップのいちぐうニュース第4回「失われた自然共生コミュニティ」は、日本の過疎地の縮図のような離島(無人島)のリポート。限界集落なんて嫌な名前がついてしまった消えゆく村々のことに思いを馳せて読んでいただければうれしいです。
http://theearthnews.jp/theearthlab/ichigu/2010/11/4-1.php

ジアスニュースには、加えてもう1本。この「永田の雑記帳」でも何度かご紹介した宮城県大崎市鳴子地区の鳴子の米プロ、なかでも米プロのプレゼンテーションの場であり米プロのシンボル米「ゆきむすび」のアンテナショップでもあるおむすびショップ「むすびや」の元気アップ作戦の模様を連載しています。
今年6月、鳴子より、私が日頃からお付き合いしている東京在住の農業や食・環境に関心のあるグループ「アンミツ」(以前にこのコーナーでも紹介)にヘルプ要請が。
「『むすびや』の売上アップに協力してほしい!」
現場がすぐにでも取り組めるような具体的提案を行い、少しでも現場のお役に立ちたいと、アンミツメンバーが奮闘しています。
http://theearthnews.jp/theearthlab/ichigu/


さて、すっかり秋も深まり、そろそろ新米が出回る季節となりました。
今夏の猛暑で各地でお米の品質が低下、新米の価格が大幅に下がっています。

「でも、(価格が)下がった分、農家は国から助成金(個別所得補償)をもらうんでしょ。だったらいいじゃない」
現実はそれほど甘くありません。
「どうせ助成金をもらうから」が前提となり、業者はさらなるお米の取引価格の値下げを要求、JAに出荷している農家からは、JAからの前払い金に助成分を合わせてもとても採算が合わないという悲鳴が聞こえてきます。

「でもそれは農家が努力してないからでしょ? 産直など自分で販路を開拓したり、大規模経営で工夫してがんばっている農家だっているんだから」
後の指摘に関してはおっしゃる通り。

しかし、ここで最近私が思うことを少し。
努力って何でしょうか? どのくらい努力すればいいのでしょうか?
世の中、努力していない人のほうが少ないと私は思っています。性善説に立ち過ぎですか?

考えてみてください。
誰だって、人知れず、それなりに努力しているのではありませんか?

世に言う努力とは、世間からそれなりに認められるようになること、あるいはもっと端的に言えば、お金がたくさん稼げるようになること、でしょうか。
要するに、私は、他人との比較の中で、「もっと努力せよ」と言われているような気がするのです。
自分が満足する努力ができれば、それでいいではないですか。

話をお米の農家に戻しましょう。
確かに、日本の農家、特に稲作農家には兼業が多く、特に本業は役場やJAに、あるいは一般企業に勤務しながら、土日だけ農業するような人たちが米価が下がったからと言って助成金をもらうのは納得ができないとの意見はもっともです。
だけど、みんながみんな怠惰で強欲な兼業農家ばかりなんでしょうか??

一口に農業と言っても、「都市」、「都市近郊」、「平場(ひらば)」、「中山間(ちゅうさんかん)地」と農業を営む場所によって、その条件は異なります。簡単には語れません。
農業雑誌の編集長をしていた頃、農業を語るのは難しいとつくづく思ったものです。

NHKの番組『プロフェッショナル~仕事の流儀~』の11月1日放映は、宮城県登米市の稲作農家・石井稔さんでした。通常の5倍の価格で取引される米をつくる石井さん流の米づくり、一途な情熱、米への深い愛情、環境条件を計算し尽くした栽培方法など、その姿には心動かされました。この人のつくるお米が高いのは分かる気がするとも思いました。
番組の中で石井さんは次のように言っていました。
「私の米作りは誰にでもできる。ただ、手をかけるかかけないかだけ」
そうだなとうなずきながらも私は、石井さんと同じ努力を他の農家に求めるのは非常に酷だなぁとも感じていました。
老婆心ながら、あの番組を視た人たちが、「他の農家はラクをしている」、「努力をしていない」と短絡的に思うことを心配したのです。

私は多くの農家は、それなりに努力をして、「いいものをつくりたい」と日夜励んでいると信じています。
お米だって、各々自分が思う手のかけ方で、「おいしく食べてもらいたい」、「うちの米が一番うまい」と信じて作っているはずです。

日本の農家の平均年齢は65歳。最も多いのが昭和一ケタ世代の75歳以上です。
75歳を過ぎた人たちに、「努力が足りない、もっと努力・工夫をしろ!」と言えるでしょうか??

もちろん、だからこそ、若者や意欲ある人たちが農業に新規参入しやすい環境をつくっていかなければなりません。
一方で、今、我々の食べるものを作ってくれている農家のそれぞれの努力に、少しぐらい「ありがとう」と言ってもいいではないですか。

人が生き甲斐を感じるのは、「自分が誰かの役に立っていると実感できるとき」=「ありがとうと言ってもらえたとき」だと、私は思っています。

傷のなめ合い、慰め合いでなく、小さな努力の結果を誉め合う、讃えあう、それに感謝することで「関係」は変わるし、そこから始まることもあると私は信じています。
「ありがとう」、「おいしかった」の言葉がうれしくて、またその言葉が聞きたくて、さらに努力しようと思う。それが人間だと私は思うのです。