2010年6月18日

さまざまな人が共に暮らす「ぱれっとの家 いこっと」誕生。

多様性、価値観の多様化。今ではさまざまなところで頻繁に使われているこれらの言葉。だけど私はときどき空々しく感じることがあります。まだまだ日本は多様な価値を認める社会とは言い難い。もちろん、萌芽はあちこちに見られますし、垣根のない社会を目指そうと草の根レベルで地道に活動されている方々もおられます。

ひところ流行った「KY」という言葉も好きではありません。確かに、TPOをわきまえない言動は非難されるべきときもありますが、たとえば会話の中で周囲に同調せずに独自の発言をすれば「KY」と白い目で見られるのは、日本文化のマイナス面である「ムラ」の論理と同じです。

人の尊厳とは何なのか? 人の存在そのものを大切だと感じることができるか?

相手のできないことを見るのでなく、存在そのものを認め、共に暮らす。今年の4月、障害者教育・支援の草分けとも言えるNPO法人ぱれっと(以下、ぱれっと)が、障害のある人もない人も地域で一緒に暮らす家「ぱれっとの家 いこっと」(以下、「いこっと」)を東京都渋谷区恵比寿にオープンしました。

障害のある人が親元を離れて自立する手段といえば、彼らだけのホームや施設で暮らすというのが日本ではあたり前の中、「いこっと」はまさに画期的な試みです。
ぱれっとの創業者であり理事長の谷口奈保子さんは言います。
「障害者教育で最も避けるべきは、障害のある人だけを固めてしまうこと。できるだけ彼らを健常者の住まう空間に混ぜて普通に社会生活を送ってもらうことが大事」
留学したアメリカでその実践を見て以来の谷口さんの理念・哲学です。「いこっと」は谷口さんが15年前から温めてきた構想なのです。
8部屋を有する「いこっと」は、キッチンや浴室など水回りとリビングは共有。コレクティブハウスのように共有空間を配したのは、入居者同士がコミュニケーションを深めることを大切にしているためです。いこっと外観.JPG
▲手前の建物が「いこっと」。奥は、「えびす ぱれっとホーム」。「いこっと」の名前は公募で集まった40数件の中から決定。「行こう」「憩い」「ぱれっと」をかけた名前だとか。

先日、谷口さんからご案内をいただき、「いこっと」に出かけてきました。
都心の一等地・渋谷区恵比寿。駅から徒歩8分という便利な場所に建つ白いスタイリッシュな建物は、なんと家賃6万9千円~7万3千円と信じられないほどのリーズナブルさ! 驚きです。
都心では家を建てること自体が、土地の取得を含め容易ではありません。
国や地方自治体は今やどこも厳しい財政状況を抱えており、頼りにはなりません。

ぱれっとがこの難題をクリアできたのはなぜか。
それには、強力なパートナーの存在がありました。長年ぱれっとを支援してきた企業・株式会社東京木工所グループが「いこっと」の理念に共鳴し、土地を提供して建物の建設を担ってくれたのです。
そして、「いこっと」づくりのコアは、ぱれっと職員とボランティア有志で組織された家づくり実行委員会が主催する月2回、全24回のワークショップ(WS)。このWSには、ぱれっとの職員のほか、ボランティア、障害者本人、その親御さん、入居希望者に加えて建物の設計を担当した株式会社トムコも参画、毎回熱い議論が繰り広げられました。ここで出た具体的な要望・希望(バリアフリーの考え方、水廻りの位置や数、共用部分の位置・広さなど)をほぼ取り入れた形で、1年3カ月をかけて「いこっと」は完成しました。まさに多くの人の声と協力をもって作り上げた家なのです。この建物をぱれっとが一括借り上げして(サブリース)、入居者と賃貸契約を結び家賃で返済していくという仕組みで運営されています。いこっとプレート.JPG
▲ステキな絵のデザインは、障害者の芸術活動を支援する「エーブルアートジャパン」の作品。WSでいくつかの作品の中からこれに決めた。

「障害のあるなしにかかわらず地域であたり前の生活ができる社会づくり」は、創業以来の27年間、ぱれっとの一貫したミッションです。これまでにそのための5つのステージを提供してきました。
最初が「遊ぶ」、余暇活動の場。えびす青年教室(渋谷区教育委員会実施)に集う障害のある人たちの人間関係や生活圏の疑問を感じたボランティア有志の呼びかけで、1983年、日常的に安心して集える場である「たまり場ぱれっと」が誕生しました。
第2が「はたらく」場です。知的に障害のある人たちと共にクッキーやケーキの製造・販売を行っている「おかし屋ぱれっと」ができたのは1985年。ここのクッキーとケーキをいただいたことがあるのですが、その商品のレベルの高さにびっくりしました。
「常によりよい商品の提供に努めていますが、自分たちだけで新しい技術や商品開発を行うのはなかなか難しい面もあり、企業とのコラボレーションにも取組み始めました。お寺と共同開発した甘茶クッキーはかなり好評です。また、企業の協力を得て、その社屋の一画で商品を販売させてもらったりもしており、この売上が非常に伸びています」
と、ぱれっと事務局長の菅原睦子さん。
さらにその6年後の1991年には第3のステージ、「もっとあたり前に、いろいろな人たちの中で障害者が働くことができる場」として、スリランカカレーの店「Restaurant&Bar Palette」がオープンしました。恵比寿駅西口からすぐの立地にある人気のこのレストランでは、障害のある人、健常者、外国人が一緒に働いています。
第4のステージ「くらす」が、渋谷区在住の知的障害のある人を対象にしたケアホームとショートステイを運営している「えびす・ぱれっとホーム」です。開所は1993年。そして今年、さらに一歩進んだステージとして「いこっと」が生まれたのです。菅原さん・中野さん④.JPG
▲ぱれっと事務局長の菅原さん(右)と「えびす・ぱれっとホーム」スタッフの中野行徳さん。「ぱれっとの仕事ではいろんな人との出会いがあって、いろんなも のが生まれていく。それが一番たのしい」(菅原さん)

菅原さんは言います。
「『いこっと』は、ぱれっとがずっとつくりたかった家です。欧米では障害が重い人も気の合う人とルームシェアして暮らしています。『日本では無理、できない』のではなく、『やらない、やっていない』だけです」
さらに菅原さんは続けます。
「『いこっと』のWSの経過を関心のある方々に流していったところ、多くの人から『こういう動きを待っていた』、『自分たちも障害者と健常者が共に住む家づくりを始めようとしている』といった反応があったんです。『いこっと』のような家のニーズが高いこと、同じような思いや志ですでに取り組んでいる方々がおられることがわかりました。
今回、渋谷区も理解を示してくれ、備品代200万を出してくれました。また低所得の知的に障害のある人に対して上限2万円の家賃補助もしてくれることになりました。行政の協力を得られたことは大きいですね。建物は土地提供者や企業など民間と協力すれば可能性がぐんと広がります。あらゆる意味で『いこっと』が一つのモデルになればと思っています」

ぱれっとの第5のステージ「国をこえる」は福祉分野に限らず、社会的・文化的な側面から視野を広げ互いに学びあう国際交流プログラムを行なう「ぱれっとインターナショナル・ジャパン」です。昨年8月、ぱれっとがスリランカで10年間続けてきた事業「スリランカぱれっと(Pallet)」(現地にクッキー工場を設立、現地の障害者の就労支援活動としてクッキー・ケーキの製造・販売を行う)が終了しました。
工場の従業員は全員、スリランカ大手製菓会社のセイロンビスケット・リミテッドに再就職が決まり、同社は国内初となるNPO法人(障害者を雇用して菓子を製造・販売する「サハン・セヴァナ」)を今年1月に立ち上げたとのこと! スリランカぱれっとの10年間の着地点は、スリランカという国に未来の希望を示すものとなったようです。
諸般の事情で工場を閉じることになったにせよ、政府からの一切の援助もなしに民間の力だけでここまで事業を推進してこられた谷口さんの大変なご尽力に、またぱれっとの偉業に深い感銘を覚えます。

先駆的行動で日本の障害者教育・支援を行ってきたぱれっとの活動には、その精神や理念をビジネスにしてゆく手法など「ソーシャルビジネス」の本質があり、地域づくりの問題にも通じる学ぶべき点が多々あります。今後も、ぱれっとの活動には注目していきたいと思っています。

最後に、お忙しい中、「いこっと」の見学にお付き合いいただきました菅原さん、ありがとうございました。