2009年12月20日

ローズガーデン物語 第10回 ハーバルライフの勧め(1)

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桜庭さんのローズガーデン物語の第10回です。

自身のライフスタイルの変化に影響を与えた家族との関係、農業高校の教師としての現実との葛藤、
そして見つけた新たな人生のテーマ……
今回はサークル誕生に至るまでの桜庭さんの心の変遷です。

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サークルが誕生した。12,3人でスタートを切った。サークルの名前を「ハーブ研究会 花もいいわ(仮称)」と命名した。「花もいいわ」の語源は、富良野で栽培されているラベンダーの品種名の一つに「はなもいわ」がある。ラベンダーは、ハーブの女王と言われている。
「花もいいわ」と気まぐれな女王たちが集まる市民サークルの名前としては、的を言い得ていたように自負している。そして、景気づけに新聞記者を呼んだ。「ハーブの市民サークル誕生」の記事が、翌日の紙面を小さいながらも飾った。

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▲ハーブサークル「花もいいわ」の面々

サークルが誕生したのは、平成10年の8月。
この3年前に私は、S農業高校からK農業高校へ異動していた。
周囲のおだてもあって、自分の可能性を試す時期に来ていた。
勉強会に所属して、それなりの勉強と実績づくりに励んでいた。
下の子(長男)が小学校の2年生であった。
異動したその年に、いろいろあって農家の長男でありながら私は宅地を買い、家を建てた。
私たちは、すでに8年間両親から離れて生活をしていた。
両親のライフスタイルと私たちのライフスタイルには、大きな溝ができていた。
その溝を無理に埋めようとすれば、どちらかが我慢しなければならない。
我慢すれば、必ずある時期に爆発する。
ぶつかり合うのは、常に価値観と価値観である。
そんな両親との関係を見越して車でスープの冷めない距離(4㎞ほど)に自分たちの脚で立った。
両親から一銭の補助も受けない自立は、すがすがしかった。

「管理職試験」というものを数回受けた。
自分には、向いていないことがわかった。
不器用な私には、上手に泳ぎ回れないことがわかった。
40を過ぎて、自らの到達点のようなものが見えてくると、今まで見えていなかったものまでもが見えてくるような気がした。
たかだか数年「試験」のために勉強しただけなのだが、何か大事なものを犠牲にしていたことに気が付いた。
もう少し子供と遊んでやればよかった、と後悔した。
後悔しても、その時間は取り戻せない。この半年後に、妻に脳腫瘍が見つかった。

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▲管理職試験に向けて勉強の日々。実家と車でスープの冷めない距離に暮らすのは、遠過ぎず近過ぎず……。

同じ勉強をしていた同僚の中には、我慢強い、打たれ強い人たちもいた。
こういう人たちは、ある意味「幸せ」である。
「夢中」になって勉強している。
「霧の中を」自分の到達点が見えないまま飛び続けていると言ってよい。
まさに、「夢の中」なのである。
それとも、単なる視界不良で着地点を見失っているだけなのか?
いずれにせよ、どこに自分の価値観を置いて、バランスよく生きて行くかの問題である。

S農業高校時代には、植物バイオテクノロジーを担当していたが、その限界を感じていた。
自らの限界であり、農業高校におけるバイオテクノロジーという分野の限界である、と言ってもよい。
K農業高校への異動を機会に、「植物バイオ」の次に、私にできるものは何か?
「管理職」とは何か? 同時に考えていた。
異動した2年目には、「植物バイオ」という科目を手放し、新たに「ハーブ」という領域を立ち上げた。
これも、すんなり事が運んだわけではなかった。(第11回へつづく)植物バイオ.JPG
▲ラン類の増殖。