2009年5月 8日

美しい村、山岳集落東祖谷Part2

葺き替えが進むちいおり.JPG

Part1からの続きです。
上の写真、Part1のちいおりとはちょっと違うことに気づかれました?
そうなんです、屋根が部分的に葺き替えられています。
初回の訪問から約3カ月が経過。
2月21日に訪れたときのちいおりです。
一度で大好きになった村。必ずもう一度訪れようと思っていた矢先でした。
またもや株式会社庵の梶浦社長のお招きで地方の元気再生事業(内閣府)の「歴史観光まちづくりフォーラム」のパネリストとして東祖谷訪問の機会を得ました。
「また、東祖谷の皆さんに会える!」
そう思うと、心が躍りました。
庵さんと一緒にこの事業を担当している京都のリンク・コミュニティデザイン研究所の由井(よしい)さんから当日のパンフレットがPDFで送られてきてびっくり。
な、なんと、アレックス・カーさん(東洋文化研究家、NPO法人ちいおりトラスト代表、株式会社庵会長)が基調講演ではありませんか!
とっても久しぶりにお目にかかることになります。憶えていらっしゃるでしょうか?
アレックスさんが一番好きな東祖谷で、彼の生の言葉が聴けるなんて、こんな幸せなことはありません。

梶浦さん、由井さんに相談の上、2人の知人を誘いました。
1人はこのサイトの「いちぐう人」でも紹介している環境デザイナーの廣瀬俊介さん。もうお1人は、廣瀬さんを通じて知り合った同じく環境デザイナーの田賀陽介さん。
私の誘いに対する田賀さんからの返信メールにさらにびっくり。
以前、近隣の脇町(現・美馬市)に現地調査に入り、平家の落人伝説を含む伝承・逸話をもとに『美馬風土拾遺』を制作したのだとか。

美馬風土拾遺.jpg

平家落人伝説の部分をメールで送っていただき、そのわかりやすい語り口と田賀さん作の繊細な挿絵に感動しつつ確信しました。
「きっと、東祖谷の皆さんも勇気づけられるはず」
なので、お忙しいところを半ば無理矢理(笑)予定を調整していただき、田賀さんにも東祖谷まで起こしいただきました。
▼田賀さんのブログ
http://taga.blog.drecom.jp/

会場は三好市東祖谷総合支所の多目的ホール。
梶浦さんの挨拶に続き、司会の方に促されアレックスさんが挨拶…かと思いきや、そのまま基調講演に。
聴き入りました。さすがです。
「1970年代に初めて東祖谷に来たとき山の上に点々とある茅葺きの家を見たとき、ここは仙人の里だと思った」
けれども、あちこち歩くうちに、空家がたくさんあることに気づきます。
36年前に買った築300年のちいおりは、すでにボロボロ。当初は雨洩りで大変だったとか。
屋根の葺き替えは、これまでに2回行ったそうです。
アレックスさんは言います。
「日本の家屋は、維持するためにたえず、障子の張り替え、床下の木の入れ替え、屋根の葺き替え(張り替え)をしなければならない。それは一見大変な苦労。でも、見方を変えれば、きっと楽しかったんだと思う。子どもたちは竹や藁で遊びながら、いろんな勉強ができた」
9年前に、ちいおりトラストを設立。4年前にNPO法人に。
「祖谷に貢献したいし、あの家も維持したいと思った。今では多くの若者たちがちいおりを訪れる。祖谷の歴史、伝統、文化、生活を伝えることができればと思っている。過疎と高齢化。特に東祖谷は深刻。茅葺き屋根の家は廃屋になって壊して新築になるかトタンをまかれてしまう。私が愛したこの村が、みるみるうちに変わっていく。土木で少しずつおかしくなっていく。でも、ずっとちいおりの維持だけで精いっぱいでほとんど何もできなかった。22~24代の村長に“この村を美しくしよう”と訴えたが、時代が悪かった。僕も若すぎた。自分は何もしない、ずるい学生と思われていたと思う」
しかし、時が流れ、変わりました。
「観光で稼げる、村が再生できるなんて、20年前は考えられなかった。4、5年前から全国的に変化してきた。小泉政権が“観光立国”を打ちだし、昨年、観光庁ができた。中央省庁が景観にお金を出すようになった。かつては空古民家対策といえば“廃屋除却事業”。それがいまでは“空家活用事業”に。観光客は夢をみたい、伝統、伝説が知りたい。残したところほど強い。庵がちいおりトラストと組んで祖谷で何ができるのか?その挑戦はほんの始まりに過ぎないが、みんなが一緒にやれば全国のモデルケースになるはず。平家伝説や地元の食材など具体的な成果が上がったことは、東祖谷にとって歴史的な出来事。次は落合の家々を改修して、健全で美しく世界に誇れる村になって本当の観光事業に取り組むこと。僕は一時期、祖谷に対して絶望的だった。このところの祖谷の動きを見て、久々にうれしい気持ちです」

実は、開始直前の打ち合わせで梶浦さんに「僕、きょう、何話したらいいの? 話すことないよ。もう同じこと何回も言ってるから。梶浦さんがしゃべってよ」と真顔で言っていたアレックスさん。
けれども、いったん話始めると堰を切ったように言葉があふれ出し、その一言一句が言霊のように、聴衆の胸の奥に届きました。
アレックスさんの長年の祖谷への思いを改めて知り、私は何度もうるうる……。

そして、出番。
パネルディスカッションはアレックスさんも登壇されたのですが、光栄なことに、私の席はそのお隣でした。
まずは地元のパネリストの方々のお話から。
聴いているうちに、まずいことになってきました。
パネリストのお1人の市岡日出夫さんのお話に、またもやうるうる。
何度もこらえたのですが、村を思う市岡さんのお気持ちに、ついに涙が…。そして鼻水が出てきてしまいました。
皆さんの前で、1人グスン、グスン。
私の番になりました。
開口一番、「すみません、さっきから鼻がグズグズしてるのは花粉症なんじゃなくて、涙なんです。涙もろい私はアレックスさんのお話を聴いていて感動して、市岡さんのお話に思わず涙が出てしまって」
いろいろお話した気がしますが、よく憶えていません(笑)。
たった一つ、どうしても皆さんにお伝えしたかったのは、これから地域力の基準となるのは「コミュニティ力」、つまり「地域の結束力」だということ。
他者を思いやって、認め合って、助け合って生きていけるかどうか。
これからはそういう「度量」のある(残っている)地域が、価値を持つ時代だと思います。

東祖谷フォーラムパネルD.JPG
▲パネルディスカッションの様子(撮影:田賀陽介さん)。

その後のディスカッションは、梶浦さんの実に素晴らしいコーディネートで活発に進行しました。
会場の田賀さんも意見を述べられる場面も。
うれしかったのは、私が紹介した田賀さんの冊子『美馬風土拾遺』に多くの参加者が興味を示し、田賀さんが持参くださった分が全部なくなってしまい、ついにはコピーして皆さんに配布することになったことです。
檀上の隣の席で「これ、ちょっといい?」と冊子を手に取られたアレックスさんには、「どうぞ、差し上げます」と私から手渡しました。

会場で、パネリストだった中石さんはじめ「コミュニティ祖谷」の上栗さん、吉田さんともお会いすることができました。
吉田さんは相変わらず、チャーミングな笑顔を向けてくださいました。

アレックスさんがおっしゃっていたように、東祖谷の挑戦はこれからです。
外界から隔絶されてきたからこそ残った生活と文化には、どことなく平家の落人たちの雅が感じられます。厳しく息をのむ美しい自然とあいまって、神秘的でさえあります。
何より私を魅了してやまないのは、東祖谷の「人たち」。人々の「心」です。
古民家再生事業で村が生き残ることができるか否かは、それらを守り抜き、活かすこと。
個々の利害を超えて、一層の支え合い・助け合いの心で結束を強めていくことに尽きるように思います。

東祖谷の皆さん、また遊びに行きますね!


以下は、翌日のこれまた念願の重伝建地区「落合集落」の散策写真リポートです。

朝ごはん.JPG

ホテルを朝7時に出て、車で落合の集会所(公民館?)に向かいました。
前日のパネリストのお1人だった「落合重要伝統的建造物群保存会 会長」の南敏治さんをはじめ、保存会の男性陣が朝食を準備してくださっていました。おいしくて、ご飯が足りなくなったほど。
2月下旬の早朝の落合は凍える寒さでした。
その寒さに震えながら可憐な花を咲かせていた桜を見つけ、うれしくなって写真に収めました。

落合の桜.JPG

下から里道(りどう)を上がっていくのかと思いきや、車を上に停めて下っていくことに。
マウンテンブーツを履いてきてよかったです。
なぜかというと、

落合集落上からみた風景.JPG

この急傾斜。30度はあります。里道は、別名赤筋道とも呼ばれ、説明(案内)板によれば、峠から川へ下るものと等高線に沿って通るものが地区内に縦横に設けられているとか。傾斜の急なところは階段状に石が敷き詰められています。下の写真は、田賀さん撮影。

落合里道散策(田賀さん).jpg

こんなところで生活すればさぞや足腰が強くなるだろうと思ったり。
しかし、こんなまっすぐ立てないような斜面に畑をつくり人々が住みついたのはなぜなのか?
昨日ご一緒した奈良女子大学生活生活環境学部の増井正哉教授が教えてくださいました。
「落合は、日当たりがよく、水も出るうえに、水はけもよかった。耕作に適した土地だったんです」
上の写真にも写っていますが、集落の家々はみんなマイ茶畑をお持ちなんです。
各家ごとに味が違うオリジナルの番茶を楽しんでいるのだそう。

マイ茶畑.JPG

畑の中に藁を束ねた円錐形のものを見かけました。
「こえぐろ」です。畑の肥料として利用するために、刈り取った茅などの草を束ねて保存する、東祖谷独特の農法(?)、習わしです。

こえぐろ.JPG

▼里道散策では、家々の見事な石垣を見ることができました。石垣.JPG

石垣説明.JPG
▲青いジャケット姿は南さん。

石の間にコケなどの植物が住まいを獲得してゆき、歳月が経ったときに初めて、自然の中に息づく「石垣」となります。
「だから、長く持つんです。隙間を人工物で埋めてしまった石垣は弱いんです」
と、田賀さんが教えてくださいました。

石垣のコケ.JPG

落合集落の散策を終え、ちいおりに戻る途中、ちいおりの屋根の葺き替えに携わった熊本の茅葺き職人・小川剛史さんの「仕事現場」に立ち寄りました。
別の民家の屋根を葺き替え中でした。

▼小川さん。京都の美山町で5年間の茅葺き職人修行の後、奥さまの実家である熊本県玉名市へ。かやぶき職人さん.JPG

わざわざ熊本から茅を持ちこんでの作業とか。
祖谷の茅は痩せており屋根の形を整えるのが難しく、そのため空気を含んで一束が膨らんでいる熊本の茅をうまく使いながら葺いていくのだそうです。

▼右が熊本から持ち込んだ茅。左が祖谷の茅(撮影者:田賀陽介さん)。

茅(田賀さん).jpg

ちいおりでは、アレックスさんらが迎えてくださいました。下2枚のモノクロの雰囲気のある写真の撮影者も田賀さん。

ちいおりで(モノクロ)田賀さん.jpg ちいおり(モノクロ)田賀さん.jpg

外光と内部の影のコントラストが美しい、静かな空間です。

光と影わらじ.JPG
▲草履だってこんなふうにディスプレイするとステキですね。奥でお茶を飲んでいらっしゃる方が増井先生です。