2009年5月21日

農業バブルに思う

雑記帳第7弾は、3月の末に訪れた長野県東御市(旧東部町)。
農業生産法人(有)永井農場の専務取締役・進さんとの再会です。
3年ぶりでしょうか。以前は元気なセンスあふれる“青年”のイメージでしたが、久しぶりに会った進さんは貫禄も備わり経営者としてのオーラが感じられました。思わず母……おっと姉のような気持ちでうれしくなってしまいました。
さて、昨今何かと話題の農業。まるで農業バブルとでも言えるようなメディアの騒ぎっぷりに辟易している私は、進さんとこの話題で大いに盛り上がったのでした。

▼永井農場。いつ訪れても美しい。
永井農場全景.JPG

永井農場があるのは、東御市。軽井沢まで車で1時間弱ほどの距離です。
エッセイストで画家の玉村豊男さんの「ヴィラディスト ガーデンファーム アンド ワイナリー」があります。
玉村さんは1991年に同市(当時は旧東部町)に移住後、ワイン用ブドウ、ハーブ、西洋野菜を栽培。2003年には醸造免許を取得してワイナリーを開設、オリジナルワインの醸造を開始し、2004年には自家菜園の野菜やハーブを中心とした料理とワインを供するカフェ、ショップ、ギャラリー、ガーデンを併設した「ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリー」をオープン。今や有名な観光スポットでもあります。
軽井沢に近い環境、また玉村さんの影響からか、近年ではよそから移住してオシャレなレストランを、あるいはワイナリーを経営する若者も現れています。
「やっぱり、玉村さんの影響は大きいです」
とは、進さん。
自身、飛躍のきっかけとなったのが玉村さんとの出会いでした。
高校・短大と酪農を学んだ北海道から帰郷して就農してすぐの頃、玉村さんの講演を聴き感銘を受け、控え室を訪ねます。
「自分のブランドの米をつくりたい。ついてはデザイナーを紹介してほしい」
玉村さんからデザイナーである奥さまを紹介され、その後まもなくして永井農場オリジナルパッケージ米が誕生しました。
1992年、当時の特別栽培米制度を利用して、進さんは米の直販を開始します。顧客はといえば、友人・知人25人。
しかし、やがて注文の電話とFAXが鳴りっぱなしの状況に。
玉村さんが雑誌『クロワッサン』のエッセイの中で大きく紹介してくれたのです。
その後進さんは、地域の農家の米を「信州天日乾し米」として首都圏の米穀店を中心に売り込むなど、地域の農家をも顧客と捉えて販路の開拓に果敢に挑戦。
彼のそうした常に前向きで明るい姿に惹かれ、全国から多くの若者たちが永井農場を訪ねてきます。
現在、8人の若者が進さんのもとで働いています。

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▲永井進さん。後の牛のイラストは、永井農場の「牛を飼って米を作る(牛糞を堆肥に米を作り、稲藁を牛の餌に)」という循環農業のシンボル。右の耳は米粒を表しているとか。友人のデザイナーが考案してくれた。

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▲永井農場の牛たち。

実は、この訪問の目的は、農水省の「農山漁村の雇用力調査」のヒアリング(現地調査)でした。
「不景気で雇用情勢が悪化している中、都会から農山漁村へ、人手の足りない農業へという流れがあるが、ホントに農山漁村にそれらを受け止めるだけのキャパシティがあるのか?雇用力があるのか?」
を調べるというもの。
昨今の「都会がダメなら農山漁村で田舎暮らしでも」「都会に働き口がないなら、田舎で農業でも」という風潮、あるいは「農業で大儲け!」的なタイトルの本に象徴されるメディアの短絡志向に「農家をバカにするな!」と怒りを通り越しうんざりしていた私は、さっそくそのことを進さんにぶつけました。
「まったく同感ですね。この前の農業人フェア(農業法人などへ就職を希望する人のための就職相談会)でも、テレビカメラの数が半端じゃなかなかった。だけど今のマスメディアが農業の雇用・求人状況を伝えているのか疑問ですね。マスメディアが自分たちで勝手に解釈した、自分たちの世界で創り出した情報を発信し、それを見て誤解した人たちが僕たちにアクセスしてくる。その繰り返しですね」
農業は、都会生活に疲れた、あるいは一般企業を辞めざるを得なくなった人たちが安易に選ぶには厳しい現場。
そのことは、これまでも繰り返し言われてきたことです。
さらに進さんは、農業の牧歌的な柔らかいイメージに惹かれ「癒されたい」とやってくる人たちは、「正直、社会から逃げいている人、病んでいる人がけっこう多い」とも言います。
「僕たちが
希望している人材は、まだまだ遠いところにいる」
欲しいのは、替えのきく作業員でなく、一緒に会社を創っていくパートナー。単純労働の作業員であれば、日ごろ雇っているパートやアルバイトで十分。
家族労働から法人組織にして13年。永井農場には原則、アルバイトはいません。全員正社員です。
社員が増えてくるに従い、言葉で伝えることの大切さ・難しさを痛感していると、進さん。
今の一番の経営課題は?
「人ですね。ホントに…。家族経営から会社組織にしようと思ったときも、“人”(人材)の問題だった。事業内容が増えてきて、人を雇用しなければやりきれない状況になって。で、会社が次の展開に差し掛かったとき、また“人”の問題に戻ってきました」
経営する立場になり、自身が全てに関わることができなくなった今、代わってやるべきことを遂行してくれる人材を一人でも多くつくっていくことが急務。でもそうした人材を探し出すのは容易ではないし、育てるとなるとさらに困難。一朝一夕にはできない大きな課題です。
ステップアップしようという農業法人こそ、優秀な人材が欲しいのです。

官僚の皆さん、安易なマッチング策に補助金を出すのでなく、日本農業をなんとかしたいのであれば、「やることがないから農業でもやろうか」という人でなく、「どうしても農業をやりたい!」という意欲的な能力の高い人が行く仕組みにしなければ意味ないと思いますけど……。

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▲この日、外部から講師が来て社員研修が行われていた。「とにかく、社員のモチベーションを維持する、上げていくことが大事。そのための研修です」(進さん)

ところで、この夏、軽井沢の星野リゾートエリアに永井農場のジェラートショップがオープンします。
エコロジカルな宿として、また最近では外資と組んで全国の旅館やリゾートの再生で有名な星野リゾート。以前から長野県の若手農業者として応援し、米の取引きを通じて親交のあった星野佳治社長から依頼されての出店だとか。
これまで牛乳の出荷はJAのみ。永井農場の牛たちから搾った牛乳で作ったジェラートの店は、永井農場の初のオリジナルショップでもあります。

「冬場はスープを売ろうかと考えてるんですよ」
考えているだけでなく、すでにスープを作ってくれるメーカーと交渉、了解済みというからさすがです。
問題はここでも「人」。
「動物を飼いたい、植物を育てたい、土に触れたい」と、農業の現場を希望して入社してきた若者たちは、サービス業に抵抗があるとか。
しかしながら、料理人が素材を求めてついに畑を持ってしまうように、自らの手で原料づくりから加工までが一貫して携わることのできる現場に魅力を感じる若者はいるのでは?
牛を育てたことのあるパテシエを輩出する永井農場……なんて素敵ですよね。


そして、永井農場のもう一つの夢が実現します。

3年前、永井農場の「ワインプロジェクト」が始動しました。
荒廃したリンゴ畑を使ってくれないかと持ちかけられていた進さんは、松本市のワインメーカーで働く小山英明さんに出会います。納得のいくワインづくりには品質の良い原料が欠かせないと痛感していた小山さんは、進さんの「永井農場が遊休リンゴ畑を借り、そこで2年間小山さんがブドウを作り、3年目に独立する」という「ワインプロジェクト構想」に希望を託し、永井農場に入社。

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▲小山英明さん。

3年目の今年、小山さんは独立し自身の会社「リュードヴァン(ワイン街道)」を設立しました。できたブドウは、玉村豊男さんのワイナリーで静かに熟成中。

私が訪れた時、小山さんはちょうど、畑を見降ろす丘の上に建設するワイナリーの設計コンペの準備に大忙しでした。
小さなワイナリーを中心に、パンを焼く人、野菜を作る人、カフェやレストランを営む人などが住み、地元の人たちのための新しい暮らしの場ができていく……そんな図柄を小山さんは描いています。
ワイナリーを建設するのは標高740~830m。
「もっと標高の高いところに建てたほうがいいと言う人たちもいます。確かに、そのほうが絶景なんです。でも、それだと地域の人たちはわざわざ毎日(ワイナリーの場所まで)上がってこないでしょう。だから、集落の一番上に建てることにしました」

歩いて集落から通えるワイナリーであることが大切と、小山さん。
「コミュニティはコミュニケーションの場。体がきつくて料理が作れないお年寄がカフェで食事をしていってくれるような“暮らしの場”としてやっていきたいんです」
地域貢献を経営の柱の一つに掲げる永井農場から、将来地域の牽引役となる人物が生まれ、地域コミュニティを支える事業が生まれる。
進さんは言います。
「これからも彼(小山さん)とは連携していきたい。彼の作ったワインを飲みながらうちの庭でバーベキューなんて、楽しいでしょう?」
確かに!
何しろ小山さんはかつて幻のワインを製造したという腕の持ち主。
ワインをいただくのが楽しみになってきました。
ぜひ一度畑にもおじゃまさせていただきたいと思っています。
あと、軽井沢のジェラート店、行きますからね、進さん!