2009年1月21日

ローズガーデン物語 第1回 世代交代

ラベンダー摘み取り体験.JPG

新コラムスタートです!

著者は、知人の桜庭十三さん(ペンネーム)さん。
農家の長男に生れた桜庭さんは、現在、農業高校の先生。
「これからは楽しい農業を」
桜庭さんはお父さまの死後、残された田んぼにべラベンダーを植えます。
この空間を地域コミュニティの交流の場として生かせないか―。

ローズアーチ.JPGやがてそこは人々が集う美しい花園・ハーブ&ローズガーデンへと生まれ変わります。
今回から桜庭さんが、ローズガーデンの今に至る軌跡、そこを舞台に繰り広げられるさまざまな物語、地域や農業への思いを綴ってくれます。

← 咲き誇るつるバラ

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記憶の一端に香りが結びつくと、その記憶は深いところに刻まれる。一月早朝病院から呼び出された。夜空には三日月が鋭く光っていた。集中治療室の父の呼吸はなかった。
父を自宅床の間に、北枕で寝せた。その枕元に、庭先に咲いていた水仙を花器に入れて置いた。頑固な父も七十二で逝った。住まいは別だが、世代交代となった。

今の農家の次の世代の人々は、ほとんどが農業以外の仕事に就いている。爺婆が健在のうちは、「休日に稲作をお手伝い」で済んでいたが、どちらかが欠けると、そういうわけにはいかない。次世代は、選択の岐路に立つ。
長男の私は、父が健在の時から考えが合わなかった。父は、七人兄弟の長男。父からすると、末の弟と自分の長男(私)とは、六歳しか違わない。私が記憶しているだけでも一時十一人家族であった。嫁姑の問題をはじめ、常に父は闘争心をあおられていた。だから、自分の息子と向き合う時も、自分が上位でいたかった。典型的な内弁慶であった。昔の農家の長男の姿である。
東京オリンピック(昭和三十九年)を契機とする高度経済成長の波の中に、大家族は消失していく。その末が、私のように農家の長男でありながら、敷地が広いにも関わらず、自分で宅地を買い求め住まいを建ててしまう人間が出てくる。自分の足で立つことを覚えた人間は、強くなれる。経済的に大きな負担を強いられたが、結果としてそれでよかった。これも、独立した収入源を持っているからこそできる技である。
私には、「自分ならこうする」というビジョンがあった。食料生産は、農業の根幹だが、稲作を除いて兼業農家が取り組むには無理がある。ウルグアイラウンドの合意以来、その稲作にも難度が増している。兼業農家になるであろう私は、「もっと楽しい農業はできないものか?」長い間考えていた。そのヒントを学ぶために農学部に進んだ、と言ってよい。
「楽しい農業」など、昔人間の父には理解できなかった。理解できないものは、拒むしかないのである。                                               

稲作からラベンダーへ.JPG

▲平成14年春 稲作からラベンダー栽培へ

母は、父がいなくなって「自由時間」を手にした。哀しいことだが、旧来の農家の姿である。私は、父を亡くした春から「楽しい農業」を目指してラベンダー畑の造成にとりかかった。2200㎡の畑に、準備していたラベンダーの苗を植え付けた。畑の一角が宅地であったことから、工房も建てた。同時に、周囲の人々と攻防することにもなった。                                                   (第2回へ続く)

ラベンダー畑に工房.JPG

▲平15年春 ラベンダー畑に工房を建てる